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こわれたカメラをみて、日頃の人とのつきあい方を考えるきっかけになるなんて思ってもみなかった。モノの扱い方は、私が目の前の人をどんなふうに思い関わっているのか? はっきりとしめしているようだ。

電源を入れたら「レンズの装着を確認してください」とのメッセージ。ほとんど使ってないのになんで? とにかくようすがおかしい。

修理センターへ連絡すると「落としたってことないですか?」と聞かれた。記憶がない。トラブル時の解消法とやらをぜんぶ試したけれど改善せず修理にだすことになった。

私はカメラをクローゼットの上の棚にしまっている。うん??そういえば?すぐそばの紙袋をとる時に、カメラを入れた青いポーチが引っかかり、フローリングのうえに、落ちた、ような気がする。

数日して修理をおえたカメラが、破損した部品とともに戻ってきた。レンズ内部の部品が割れてこなごな。レンズ外側にあるリングはゆがんでいて、まあまあみごとなこわれぐあい。えー!こんなにこわれてたの?? ひどいな。

ひどい、のは私だった。
カメラはかんたんにこわれないもの。もうすこし強いものという認識だった。精密機器なのにていねいに扱うことをしていない。落ちたら必ずこわれるだろう高い場所に置いて、床に落としても気にもとめない。だから落としたかどうか、しばらく思いだすことができなかった。

ちょっと待って?こんなふうに人とつきあってないかな?私は相手に対して強そうな人という思い込みで人づきあいしてない? 大切にしないで、傷つけ、へこませたりしてないだろうか?

思い込みってあるなあ。きっとこんなはず!ということ。それも無意識に。
いつもいつも、関わる人すべてを意識することなんてできない。意識しすぎて関わり方に迷ったり怖くなってしまっては意味がない。けれど、無意識に人に対しての思い込みや決めつけを持っていることには気づいておきたい。

モノでも人でも、きちんと知ってていねいにつきあおう。
私自身が思い込みに気づけば、そこから人間関係はやりなおしがきく。自分の見方が変われば、もっと信頼できる関係性が作れるはずだ。

そして最大の思い込みに、カメラはこう言っているはず。「こわれた、のではなく。あなたがこわしたんでしょう?」と。どういった視点で考えるかで、人との関わり方、関係性はよりよく変わっていくのだと思う。


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