花木裕介(挫折を味わったミドル世代の係長)

一般社団法人がんチャレンジャー代表理事/産業カウンセラー/著述家  2017年(38歳…

花木裕介(挫折を味わったミドル世代の係長)

一般社団法人がんチャレンジャー代表理事/産業カウンセラー/著述家  2017年(38歳)、ヘルスケア企業で管理職を目指すさなか、咽頭がん告知を受け、治療を開始。翌9月より復職。社内でのキャリアアップが遠のく中、新たな生きがいを見い出すべく、2019年社団法人を設立。

最近の記事

【挫折学】講義⑫「コントロールできないものまでコントロールしようとしてしまう私たち」

「自分でコントロールできるもの」と「自分ではコントロールできないもの」が我々にはあります。 米国の神学者であるラインホールド・ニーバー氏は、以下のような祈りを捧げたと言われています。 「主よ、変えられないものを受け入れる心の静けさと、 変えられるものを変える勇気と、 その両者を見分ける英知を我に与え給え」(渡辺和子訳) つまり、私たちが、自分でコントロールできるものとできないものとを自然に見分けることは容易ではなく、コントロールできないものをコントロールしようとしたり

    • 【挫折学】コラム④「がん罹患経験者としての視点から ~現状維持すら精いっぱい~」

      私自身も成長意欲は高いほうだと思います。それでも、がん罹患後は、なかなか成長意欲が持てず、苦しい思いをしました。特に、職場などでは、どうしても自分の判断や意思だけでは成長機会を求めることができないため、その環境づくりには苦慮しました。「もう成長しなくてもいいかな」と諦めかけたことも何度もあります。 また、がんに罹患すると、時に、成長どころか、「現状維持すら精いっぱい」という状況になりかねません。 私たちの法人が提唱している「キャンサーロスト」(がん罹患による機会や対象の喪

      • 【挫折学】講義⑪「人間は社会的な生き物」

        また、自分一人で生きているのなら徐々に気持ちの整理がついてくるかもしれませんが、人間は社会的な生き物ですから、どうしても他者からの刺激を受けてしまいます。 例えば、プロを目指していたサッカー選手が、「自分がなれなかったプロに同期がなって活躍している」姿を目にしたり、自分が行きたかった大学に楽しく通っている友人の話を聞いたりと、自分が望んでいたけど手に入れられなかったものを周囲が手に入れていると知れば、気持ちはざわつき、当然相対的に、自分の無価値感や嫉妬心は高まりやすいように

        • 【挫折学】講義⑩「限界の先にあるもの」

          私たち人間は、日々成長実感を抱いて生きていきたい、そういう生き物だと思います。 昨日よりも今日、今日よりも明日ということで、日々できないことができるようになったり、また、そういう実感を抱きながら次に進んでいったりということを無意識のうちに求めているのではないでしょうか。 できなかったことがあればできるようになるまで取り組む。 幼少時代もそうやって自転車に乗れるようになったり、字を書けるようになったり、という成長を続けてきて私たちはここまでやって来ました。 そういった観

        【挫折学】講義⑫「コントロールできないものまでコントロールしようとしてしまう私たち」

          【挫折学】コラム③「がん罹患経験者としての視点から ~頭では分かっていても、気持ちがついてこない~」

          私自身、がん罹患前までは比較的次のステージに進むことに積極的だったように思います。 20代のときには、「出版社で編集の仕事をする夢は叶わなかった。でも、自分が著者になることなら他の仕事をしながらでも叶えられるんじゃないか」と思い、著者を目指したこともありますし(その夢は曲がりなりにも叶えることができました)、30代のときには、とある企業においてキャリアアップの限界を感じて、転職活動により他社で再出発を果たしたこともあります。 しかし、健常者に比べて、がん罹患経験者の場合、

          【挫折学】コラム③「がん罹患経験者としての視点から ~頭では分かっていても、気持ちがついてこない~」

          【挫折学】講義⑨「人生を賭けて取り組んでいた。だからこそ簡単には割り切れない」

          もちろん、人間が社会的な生き物である限り、そのことだけをずっと思いながら生きていくということはできないので、表面上は何らかそれ以外のことにも取り組むことになるでしょうが、例えば、家で一人きりになったり、過去を振り返ったりしたときに、 「なぜあれが駄目だったんだろうか……」 「もっとこうしたらよかったんじゃないか……」 というように、後悔の念が生まれてくる、そんなこともあるかもしれません。 しかしそれは、それだけ大きな思いを抱いていたからこそだと思いますし、また相応の努力

          【挫折学】講義⑨「人生を賭けて取り組んでいた。だからこそ簡単には割り切れない」

          【挫折学】講義⑧「目標を『通過点』と捉えるか、『最終地点』と捉えるか」

          まだ若かった頃、好意を寄せていた女性に振られてしまった私に、先輩がこう助言してくれたことがあります。「失恋を忘れるには、次の相手を探すのが一番だよ」と。そして、若い頃はその言葉に発奮して、次の出会いを求めに行くエネルギーも十分生まれていました。 しかし、もし何度も同じ経験を繰り返したり、歳を重ねていったりした場合、果たして同じように次のステップに進もうと思えたか、私には正直自信がありません。 挫折を力に変えられる人とは、「その挫折は辛かったけれども、次こそは、そういう思い

          【挫折学】講義⑧「目標を『通過点』と捉えるか、『最終地点』と捉えるか」

          【挫折学】コラム②「がん罹患経験者としての視点から ~がん罹患によって目標を失うということ~」

          講義⑦で触れたことは、がん罹患経験者の抱える挫折においても同様のことがいえます。それまでそれこそ、人生を賭けて取り組んでいたものがあった人が、がん宣告によってその目標や夢を取り上げられてしまう。その方にとっては、死にも等しい宣告かもしれません。 私も、人生を賭けて…とまでは言いませんが、仕事を通じて自分のキャリアを切り開いていきたいと思って取り組んでいましたし、家族や子どもたちを養っていくためにも、大黒柱として待遇を上げる必要性も強く感じていました。何より40歳手前という、

          【挫折学】コラム②「がん罹患経験者としての視点から ~がん罹患によって目標を失うということ~」

          【挫折学】講義⑦「自信がある場合ほど、挫折した時のショックも大きい」

          挫折によるショックの大きさについては、成功確率や自分に対する自信、これまで築いてきた価値観なども関係してくるかもしれません。その目標や夢が自分にとって遥か遠くにある人と、達成可能な現実として捉えている人とでは、挫折に対するアプローチも変わってくるでしょう。 「優勝確実」 「プロ入り間違いなし」 「合格判定 A ランク」 そんな期待を自他ともに背負っていた方が、もしそれを実現できなかったとしたら、そのショックたるや想像に難くありません。 それまで明確に描いていた将来像

          【挫折学】講義⑦「自信がある場合ほど、挫折した時のショックも大きい」

          【挫折学】講義⑥「100%の自分を否定されたくない」

          10年以上前に、『俺はまだ本気出してないだけ』(2013年/松竹)という映画がヒットしました。 見た目も中身もイケてない42歳の中年男が、漫画家となるべく奮闘する姿を描いた内容でしたが、もしかして読者の方の中にも、「自分はまだ本気出していないだけ」と余力を残している方がいらっしゃるかもしれませんね。 人間誰しも、できれば100%の自分を否定されたくはないもの。だから、どこかに余力を残しておき、「本気を出せばできたさ」と思える状態を作っておきたい。10代の頃の私もまさにそのよ

          【挫折学】講義⑥「100%の自分を否定されたくない」

          【挫折学】コラム①「がん罹患経験者としての視点から ~キャンサーロストとは~」

          「挫折」経験は、前向きに捉えられなかったり、糧にできなかったりした場合、その後、自信や夢、目標などの喪失につながっていきかねない経験です。 「次、他のことにチャレンジしてもきっとまたダメだろう」 「達成できなかったあの目標のことがいつまで経っても頭から離れない」 「俺が目指していたプロサッカー選手の夢を叶えたあいつのことを考えると、現実の生活が虚しくなる」 こうした喪失感や虚無感をずっと引きずって生きていくことになるかもしれません。 前述の通り、私は、運営している一

          【挫折学】コラム①「がん罹患経験者としての視点から ~キャンサーロストとは~」

          【挫折学】講義⑤「結果を出した人の裏には、その何百倍もの結果を出せなかった人がいる」

          世界陸上400mハードル銅メダリストの為末大選手は、著書の中でこう言っています。 『成功談と失敗談のバランスは、控えめにいってもよくない。 とりわけオリンピックに関する限り、それは顕著なかたちで現れている。 メダリストの何十倍、何百倍のアスリートが負けている。その部分に光が当たらないので、一般の人は成功者の言葉がさも実現可能な言葉であるかのように錯覚する。 「あのつらかった時期を耐え抜いてきたからこそ、ここまでこられたのです」 世間の人がそれを聞いたとき、辛い時期を耐え抜

          【挫折学】講義⑤「結果を出した人の裏には、その何百倍もの結果を出せなかった人がいる」

          【挫折学】講義④「夢や目標は必ず叶うもの?」

          では、なぜ私たちは挫折の乗り越え方を学んでこなかったのでしょう。その理由が記載されている文献は残念ながら見当たらなかったため、ここからは私の主観になります。 まず、初等教育では、夢や目標を持つことが大切だと教えられます。夢や目標を持つことで、日々がイキイキしてきたり、健全な精神が育まれたり、行動が前向きになったりするからです。成長期にはこうした教育が有効なのは周知の通りです。 でも、その夢や目標がうまくいかなかった場合にどうすればいいのかについては教えてもらえません。あく

          【挫折学】講義④「夢や目標は必ず叶うもの?」

          【挫折学】講義③「挫折を意図的に学ぶ機会は少ない」

          「挫折」という経験は、時に、書籍などで「その後の人生で活かしていけるもの」という文脈でうたわれることがあります。 「うまくいかなかったことでも、最後まで頑張っていれば、それはきっと今後の人生の役に立つ」 「挫折や逆境はあなたを強くする」 「人は挫折した分だけ強くなれる」 「挫折を次の挑戦の糧に」 「挫折こそ成長のチャンス」 「挫折を乗り越えることで、一皮むける」 「挫折こそ成長への近道」 など、捉え方によって、マイナス経験をプラスに活かしていこうと示す訓示はた

          【挫折学】講義③「挫折を意図的に学ぶ機会は少ない」

          【挫折学】講義②「夢をつかむことの難しさ」

          私自身はスポーツが好きでよく観に行くのですが、例えば高校野球であれば、なんといっても甲子園(全国高等学校野球選手権大会、および、選抜高等学校野球大会)ですよね。 高校球児にとって、1年生から3年生までに甲子園に出場するチャンスは春に2回、夏に3回のたった5回しかありません。 その5回全てに出場した元巨人軍の清原和博選手や桑田真澄投手というのは、本当に特別中の特別な存在であり、やはりこの5回のうちに1回でも甲子園に行ければ、選手としては、本当に恵まれた結果だと思う一方で、そ

          【挫折学】講義②「夢をつかむことの難しさ」

          【挫折学】講義①「そもそも挫折とは何か」

          「デジタル大辞泉」の解説によると、「挫折」とは、「意気込んで行なっている仕事や計画などが途中でだめになること。また特に、そのために仕事をする気力を失うこと」と記載があります。 例えば、勉強やスポーツ、仕事などで目標を立て、計画を立て、実際に取り組んでいく中で、結果が出ないであるとか、自分から諦めてしまう、ということが挙げられると思います。 またそれによって今後の意欲や気力をなくしてしまうということもあるかもしれません。 まだ途上にいるのに、「もうダメだ」と自分から諦めて

          【挫折学】講義①「そもそも挫折とは何か」