見出し画像

【挫折学】講義⑥「100%の自分を否定されたくない」

10年以上前に、『俺はまだ本気出してないだけ』(2013年/松竹)という映画がヒットしました。

見た目も中身もイケてない42歳の中年男が、漫画家となるべく奮闘する姿を描いた内容でしたが、もしかして読者の方の中にも、「自分はまだ本気出していないだけ」と余力を残している方がいらっしゃるかもしれませんね。
人間誰しも、できれば100%の自分を否定されたくはないもの。だから、どこかに余力を残しておき、「本気を出せばできたさ」と思える状態を作っておきたい。10代の頃の私もまさにそのような人間でした。

しかし、自分にとって大きな夢や目標であればあるほど、余力を残して達成できるほど甘くはなくなってきます。

そして、夢や目標への思いが強ければ強いほど、100%の力を出せば出すほど、挫折してしまった場合の悔しさも重くのしかかってくるのではないでしょうか。

前の講義でもお伝えした通り、例えば、「甲子園に行きたい」という目標を明確に抱いていた学生がいたとしましょう。

小学校、中学校と毎日欠かさず野球の練習をして、強豪校に進学したその少年が3年間、全く脇目も振らずに遊ぶこともせず、一心不乱に練習に取り組んだとして、その結果、何とか甲子園という切符をつかめればいいのですが、もし仮にそこまで努力をして、数多くのものを犠牲にしながらも、結果として夢をつかめなかったらどうなるでしょうか。

想像するに、多くの悔しさや挫折感、さらには「描いていたものが叶わなかった」という喪失体験を抱いて、その後の人生を歩んでいくことになると思います。

もちろんその先の人生において、例えばプロ野球の選手になれたり、キャリア転身して成功したりと、その挫折を力に変えられればまだいいかもしれませんが、かといってプロなどは、甲子園以上に狭き門になるわけで、努力だけでなく、才能や運といった要素も多分に含まれてくるため、ほとんどの方は、どこかで何らか折り合いをつけていくという作業が必要になってきます。

ただ折り合いといっても、それまで本当に一生懸命やっていて、それだけを目標に頑張ってきた人が、その目標が手に入らないとわかったときの、それがもう一生、自分の手元には残らないんだということがわかったときのショックというのは、想像を絶するものがあるかと思います。

逆に、その目標への思いがそれほど強くなかった場合はどうでしょうか。
例えば、甲子園に行きたいという夢を漠然と持っていたとしても、小学校、中学校、高校と、適度に遊びながら、「その目標が叶えばラッキー」というぐらいの気持ちでやってきた野球少年であれば、もしかしたら目標に届かなかったとしても、ショックはいくらか和らぐのかもしれません。「自分は、他のメンバーに比べれば練習もしていなかったし、駄目でも仕方がないか」と。それであれば、「目標には届かなかったけれども、楽しい学校生活も送れたし、まあいいか」となるかもしれません。

こういう方は、次の人生にも比較的引きずることなく進めるのかもしれませんが、しかし、それは本当の意味で挫折とは言えないでしょうし、本気で打ち込まなければ、それこそ得られるものは、その場、そのときの楽しさくらいです。

(【挫折学】講義⑦につづく)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?