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【挫折学】コラム①「がん罹患経験者としての視点から ~キャンサーロストとは~」

「挫折」経験は、前向きに捉えられなかったり、糧にできなかったりした場合、その後、自信や夢、目標などの喪失につながっていきかねない経験です。

  • 「次、他のことにチャレンジしてもきっとまたダメだろう」

  • 「達成できなかったあの目標のことがいつまで経っても頭から離れない」

  • 「俺が目指していたプロサッカー選手の夢を叶えたあいつのことを考えると、現実の生活が虚しくなる」

こうした喪失感や虚無感をずっと引きずって生きていくことになるかもしれません。

前述の通り、私は、運営している一般社団法人がんチャレンジャーの中で、「がん罹患」をきっかけとした挫折などによる自信や夢、目標などの喪失を「キャンサーロスト」と命名し、調査を重ねてきました。

きっかけは、まさに私自身が体感した、がん罹患をきっかけとした挫折と、それに伴う喪失体験です。治療は無事に終わったものの、復職後、難易度の低い仕事しか与えられなくなり、結果としてキャリアアップの道が遠のいてしまいました。30代の頃から、「いずれは管理職になる」という目標を持ち続けていた私にとって、同期や後輩がどんどん自分を追い越していく姿をじっと見ているしかなかった状況は、今思い出しても悔しさが募ってきます。

がん罹患をきっかけに生まれる挫折と健常時に生まれる挫折とは、異なる点も少なくありませんが、「喪失」という共通点も見逃せません。

まず、異なる点について説明しましょう。一つは、そのタイミングです。健常時の挫折は、ある程度その事象が起こるタイミングを予期することができます。例えば、とある方が国家資格の試験にトライしていく中で、「これが最後になるかも…」という気持ちになることはあるかもしれません。体力的にも、気力的にも、そして金銭的にも、多大な負荷をかけて臨むわけですから、結果が伴わないからと言って、ずっとやり続けるわけにはいかないでしょう。もちろん毎回ダメになることを想定して臨むわけではないとは思いますが、いつかは辞めなければならない日が来るかもしれないことは、ある程度事前に想定ができます。しかし、がん罹患の場合は本当に突然その宣告が訪れます。

試験勉強していた方が、ふいにがん宣告を伝えられ、治療によって勉強を続けることが叶わなくなったり、たとえ試験に合格しても、治療の後遺症や副作用によってその後の活動ができなくなったりすることが実際にあるのです。前もって予期することなく、ふいに目の前から目指していたものや目標がなくなったら皆さんならどうしますか。もちろん、一旦は、目の前の病気を治すことが優先となるかもしれませんが、その危機を乗り越えられたとして、後からジワジワと喪失感が湧き上がってきませんか。しかも、病気という自分ではいかんともし難い事象によってふいに奪われたという事実は、なかなか消化したり、納得感を持ったりできるものではないのです。ともすると、一生付きまとってくる感情になるかもしれません。もちろん、コロナや大きなケガなど、同様に一方的に目標を奪われるケースもあるでしょうが、一般的には、これが健常時の挫折とがん罹患による挫折の大きな違いの一つです。

二つ目の違いとしては、がん罹患をきっかけとした場合、挫折と同時に、健康への自信も同時に失うということです。健常時であれば、挫折を経験したとしても、基本的には、体の健康は維持されています。よって、次のチャレンジも比較的しやすいかもしれません。しかし、がん罹患をきっかけにした挫折の場合、少なくともその後、健康に対する不安を抱えながら生きていくことになります。そうなれば当然、今まで以上にチャレンジに対しても慎重にならざるを得なくなるでしょう。つまり、次に目を向けにくくなるのです。

あとは周囲の目も意識せざるを得ません。がん罹患という事実によって、その後、新たに行動を起こそうにも、「そんなことやっていないで、体を大切にしないと」とブレーキがかかったり、「がん罹患したんだから、もう無理でしょ」と偏見を持たれたりすることもあるかもしれません。
こうした周囲の目とも戦っていかなくてはならないことは、健常者との大きな違いではないかと思います。

一方、プロセスは異なれど、喪失感という意味では、同じ苦しさを抱いているわけなので、共通点も少なくありません。夢や目標、自信などを失い、その後の人生に影を落とす。その苦しさは程度の差こそあれ同様でしょう。

よって今回は、自分自身もキャンサーロスト体験を経てきた私の視点も踏まえて、あらゆる方の挫折との向き合い方を考えていければと思っています。

(【挫折学】コラム②につづく)

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