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「その人間関係、一旦おろせばいいじゃない」#33要約読書
がくさんです。
地方公務員6年・国家公務員2年(出向)・民間企業(IT企業)2年を経て、個人事業主として独立。現在は、クラウドファンディング企業のキュレーター(ベンチャー社員)&プロコーチとして活動している33歳一児のパパです。
【①本が読みたい一方で他にもやりたいがある】
たくさんの書籍に触れたいけれども、じっくり本を読む時間が中々とれない、仕事や家事、その他やりたいことなど全取りしたいから「本の要約サイト」を有効活用(本当に気になる本は実際に書籍を購入して通読)。
【②本日の1冊と読んだ自分が気になった文】
インプット過多になりがちなため
強制的にnoteで投稿します。
自分が明日以降に話したい、
使いたいと思う部分のみを以下引用。
集団の中で「人からどう思われるか」を基準に生きるのはやめよう。悪意のある視線から離れ、やさしい視線のある場所のゆるい人間関係に乗り換えることだ。
家族とは、たまたま至近距離に居あわせた特殊な人たちでしかない。愛に溢れた家庭のイメージは、もともと啓蒙のために上から押しつけられたものだ。愛着を感じる対象は人でなくてもよい。
よく耳にする「子どもがいることが幸せの条件」といった言葉に対して疑問を持つ。いまの日本では生涯子どもを持たない人が約3割もいて、さらに急増中だ。その人たちが、みんな幸せになれないなどということはない。
あなたはSNSを毎日何時間も見て、特定の誰かがどう振る舞ったかということばかりに目を向けてはいないだろうか。これは人間の習性でもあるが、SNSができる前は、それを知らなくても特に困らなかった。
「誰がどうした」という話は、「誰かをうらやましがったり、逆に見下したりする心理につながりやすい」。ここから劣等感や嫌悪感が生まれる。
合わせ鏡と同じように、SNSには、「見尽くすことができない無限の広がり」がある。覗くのをやめさえすれば、その世界は消え失せる。
【③気づき・視点・認知が変わった・呟きなど】
最近は周りからどう思われようが、自分らしく生きるということに振り切っているので、「比較する」「どう思われているか気になる」みたいなことはもうほぼなくなっている。
ただ人と相対している時に、客観的に自分がどう見られているのかは意識するようにし始めている。それは相手に気に入られるためにやっているというよりも、自分自身がうまく物事を進めるためにどのような振る舞いをしておくべきかという観点でメタ認知してその場に望むというイメージ。あくまで自分が主導であり、他人軸ではないということは書籍を読んで思ったこと。
家族に大しての言及については、著者のバックグラウンドを含めたアウトプットとして記載されていることを想像すれば理解できる部分はある(生きてきた外部環境の影響により、たまたま至近距離に居合わせた~というっ、解釈と表現になるのは理解できる)。
だからこそ、家族という最小の組織単位において、家族1人1人が自分らしく生きる世界が広がることで人間関係のトラブルというのは地域、社会へと移行しても現状よりは良くなるのではといろいろと考えた。
SNS、瞬時に他人の世界観や生活にアクセスできてしまうが故に、自分と比較してしまうという部分も多いにあると思う。私は、ほとんどSNSを見ない(見る時はなにかの情報収集に限る)。
テレビもユーチューブもほとんど見ない(流れてくるものを見続けるということはしない。代わりにAmazon Primeで気になる映画等を時間を決めてみることはある)。
他人の作った臨場感空間に浸り続けないこと。
他人に時間を奪われずに、自分主体で時間を使う。
【④最後に】
「読書」となるとどうしても、
「本一冊をまるっと読まなければ・・・」
「隅から隅まで読まなければ・・・」
みたいな気持ちになってしまうのですが、
「たくさんの書籍に触れたい」
「書籍が述べたい部分をざっと把握したい」
「家事などしながら『ながら』でも本の概要を掴みたい」
「文字情報としても読みたい」
という自分の欲求を満たしながら
読書しています。
良い悪いなんてものはないと思っているので、自分らしいやり方で。
自分とは違う世界を生きてきた方の知見に触れる機会はこれからも意図的につくっていこう。
今日も自分らしい最高の1日に。
がくさん
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