記事一覧
相手との真ん中をみつけること
言葉のキャッチボールって
よく言われるけれど。
ことばは距離で。
紐のようで、自由である。
他人には自由でいて欲しいから、強制力のあることばを使って縛りたくない。
もっと理由を言えば、他人と自分は相入れないと思っているから、
無理に手繰り寄せたりしない。
他人は空気のようなもので、
混じり合えないけれども、居ないといきていけない関係性だと思っています。
黒を裏返して白
なぜ?を突き詰めているようで、なぜ?に逃げていると思う時はありませんか?
理由がないと、『浅い』と言われるのは何故だろうか。
理由とは
また物事をそのように判断した根拠。わけ。子細 (しさい) 。
だそうだ。
判断する瞬間は風のように一瞬で、
計算式のように答えは出してくれない。
また、判断したつもりはないんだけども、
答えが出ている時もある。
なぜ、あの人がすきなの?
という質問には、
『理由なんてないよ』が通用するらしい。
『好きだから
自信はどこにキープしておくもの?
自分に自信がある?
と聞かれたら、ない、と答えると思う。
でも、自分のことは素晴らしい人間だと思うか?と聞かれたら、はい、と答えると思う。
ここに相関性が強くありそうだなと思いきや、わたしはそうではないらしい。
後者はこの一年で培ったものだ。(おそらく)
自信は数量的なものなのだろう。
偏差値とかと部類は似ているものになるのだろうか。
数字としてだしてみたら測れてしまうような。
そうだとし
日本語だからできること。
誰かと話している時 、
「わかる。」っていう言葉をいろんなタイミングと
シチュエーションで使うのだけれど、
この言葉のスペックについて。
人はみんな違う言葉を、使う。
ひとつの言葉に対する定義は同じでも、
乗せる価値観が違う。
だから言葉の空気感がちがう。
この事を感じていると
言葉がぴたっと重なることは
一生ないともおもう。
人とのコミュニケーションは
合意形成の連続で、一生それをやる