中原昌也の「人生は驚きに充ちている」のエッセイ部分を読んだ。大体半分くらい。面白い。 その中に、オリンピックの総合演出が秋元康になりかけていた話がある。東京オリンピックが決まった当時の、だいぶ古い原稿だ。読めばわかるが、当時は坂道シリーズではなく、AKBが覇権を握っていたのだ。AKB!!この型落ち製造品感よ。とまで言ってしまうと、さすがに今のメンバーに申し訳ないとは思うし、「根も葉もRumor」はカラオケで元気よく歌ったりする。 けれども、10年前のファッションや流行、ポッ
名前のついていないものが好きだ。 ジャンルレスな人、もの、こと、態度、などなど。 例えば。 「名前のついていない」人で言えば、金井球さんという人が好きだ。 彼女は「ミスiD」という講談社が主催しているミスコンに応募し、2022年のグランプリに輝いた人だ。 金井さんのことを知ったのは受賞からしばらくたった夏の終わり。中野ブロードウェイにある変な雑貨屋、「中野ロープウェイ」のインスタグラムで見かけた。 なんてかわいいんだ。 その人は自分の好みにぴったりの「女の子」だった。
私のまわりに人はいるが、まるで関係のない人ばかりである。 あまりに希薄で、あまりに無意味。 泣き出しそうになるが、それをみてくれる人さえいないから、泣きださずに済んだ。 私の人生は歴史にならない。 私が何をやっても、システムの上で転がっているだけ。 作られたプログラムを毎日粛々と進ませているのだ。 それを得意と呼ぶのか、それともまた別の何か ーもう1つの可能性については、今の私には過激すぎる言葉であり、直感が自動的にブレーキをかけてくれている状態である- なのか。
池に投げた言葉は一度沈んでまた浮かんだ ぷかりぷかりと浮かび わたし、何も知りませんなんて 言いそうな顔で 罪なき言葉は向こう岸へ流れる 僕が投げたものなのに ただの言葉になっちゃった 心からの言葉なのに ただの汚れになっちゃった 久しぶりにあいつと会えてうれしかったよって 一緒にケーキを食べておいしかったよって 忘れないように投げたけど 言葉が他人のふりをするなら ぼくは急所のみぞおちを 思い切って圧迫し 言葉をできるだけ、できるだけ吐いた そしたら飛び出た言葉が池をいっぱ
「カルチャー」という言葉を初めて意識したのはいつのことだっただろうか。 ○○カルチャー(ヒップホップとか)という使い方や、地域のカルチャースクールという催し物の呼び方、あるいは「文化」の英語翻訳としては知っていた。 ただ、ここで扱いたいのはもっと狭義の、でも狭められたこそ意味がはっきりしたような使い方の「カルチャー」である。いわゆる文化系としての「カルチャー」。 そういう意味での「カルチャー」という使い方を初めて知ったのはライムスター宇多丸さんのラジオではないだろうか。た
メンタル、メンタルと連呼するやつには、その急所(例えば脛とか)を蹴っ飛ばしてやりたくなる。 何がメンタルだばかばかしい。お前は体が弱い人にも体を鍛えろというのか。 DVやパワハラなど、物理的に人に何かを当てて痛みを与える行為は、はっきりとNOを突きつけられる時代になってきている。 だけど、言葉の強さに関しては、まだナイーブな人の戯言と思われている節があると思う。 弱いメンタルをどうにかしろと言われた時、言われた方はどうしたらいいのだろう。ハイ!スミマセン!メンタル鍛エ直シ
ダゲール街の人々は、アニエス・ヴァルダ監督のドキュメンタリ―作品。当時監督が実際に住んでいた「ダゲール街」を映した作品。 わりと無目的なドキュメンタリー作品で、とはいってももちろん監督がこういう場面を収めたい、とか、こういう効果を狙った編集がしたいってことは十分に練られていると思う。 僕はそういういい加減に作ったという意味で無目的と言いたいのではなくて、例えば森達也の「A」という映画。あれは強烈に目的意識があって作られたものだと思う。もちろん森さんの中でもともと撮りたかった
今日も今日とて12時くらいに起きた。ビバ・グータラ節。ビバ・無職期間。 極端に遅く寝ているわけではないのに、なぜに常識的な時間に起きられないのだろう。この生活は幸せなことなのか。お金はないけど、実家にいて死ぬことはないだろうから、幸せなことなのかもしれない。 昨日はハローワークに行った。ハローワークは行くと人生が前進している感覚になるから好きだ。楽しい。ハローワーク楽しい。こんなにハローワークを楽しみにしている人もおるまいな。ビバ・ハローワーク。 でも、当然ながら永遠にハロ
タイトルの通り、流行ってますな。ネットで調べてみると、割と簡単になんのアプリを使っているのかはわかったのだが、アプリを使用すると顔写真を解析します。とか恐ろしいことが結構書いてあって、試すのを少し躊躇った。 そういえば昔はSNSに名前を出さない、とか、顔写真をアップしない、とか。小学生くらいの年齢ならまだ厳しく制限されているのかもしれないが、成人してしまえば誰からも止められることなくやっちゃってるな。鍵付きのアカウントならなおさら。 なんならマッチングアプリなんて顔載せないで
ほぼ答え合わせのような作品。と言うのも先日のnoteに書いた通り、私は予習としてリンチ版デューンを見てからヴィルヌーヴ版を見たので、次に何が起こるか大体予想がついた。 リンチ版でスティングがやっていたサイコ戦士はやはりあのタイミングでポールと戦うのか。かなりとってつけたような感じだけど、うーん、原作もそうだったのだろうか。 よく考えたら、私がリメイク物を見るのは初めてだったかもしれない。本作はリンチ版のリメイクではないのだが、同じ原作を使っていると言うところではリメイク的な
2024年3月も終盤、待望のヴィルヌーヴ版デューンPart2が公開される中、先輩デューンである1984年のデヴィッド・リンチ版を視聴してみた。個人的な話で言うと、リンチ作品はデビュー作であるイレイザーヘッド以降のデューン以外はしばらく前から全て見ている状態だった。 デューンは円盤が廃盤になっただとか、見えづらい作品だったわけでもなく、TSUTAYAはもちろんサブスクにも登録されていた。じゃあなんでデューンだけ観ずにほったらかしていたのかというと、リンチの作品の中で唯一失敗作
地図がしゃべくりまくる小説、「独白するユニバーサル横メルカトル」を読んだ。平山夢明著。とんでもない奇作だった。 タイトル通り、「ユニバーサル横メルカトル」が独白をすると言う内容なのだが、「ユニバーサル横メルカトル」とはなんなのか。 これは地図の表記の一種なのだ。社会の授業などで「メルカトル図法」を習ったと思うが、UTM図法といって、実際にメルカトル図法の一種として存在するらしい。長いタイトルだが、「じゅげむじゅげむ…」とただ適当な文字を連ねただけのタイトルではないのだ。 主人
2023.3.4から3.10までの日記 引っ越しをしたので、転居届やら保険の加入やらをやらなければならない。我ながら2月末というおかしなタイミングで引っ越したと思う。だが、区役所にはおそらく同じような用事を抱えた区民がたくさんいた。係の人に言われるがまま、必要な書類に記入をする。その間(書き方、これでいいんかな…?)常に疑問が付きまとう。 ところで、役所系の書類を書く机には、透明なデスクカバーが敷いてあることが多い。クリアファイルや特に手を置くと、少しくっついてぎちぎちと音が
以下、すべての文章がネタバレです。 ベラの成長は結構でこぼこで、高いところから物を落として手をたたいて喜んだり、歩くのもままならなかったり。子供のような感性を持つ一方、性的な興味はかなり早くから持っている。 性的な興味を子供が持つのは特段おかしな話でもないが、意外と達者にしゃべったりと、完全にすべての能力が足並みをそろえている感じはしない。以前、障がいをもつ子供は、例えば「3歳レベルの知的能力」などと言われるが、それは3歳と全く同じというわけではないという話を聞いた。なぜな
こんばんは。短歌を作ったので載せていきます。 当然と 思っていたの 定食の 好きなおかずを 最後にするとか やりとげた 気分になった ただ店で ノートを一冊 買っただけで 死ぬ前に 見るとうわさの 映像に あったらいいな 今日の空気が ばさばさと 落ち着かせない 物音が 素敵な家の 副産物 馬鹿高い 機材が必須の 趣味のため こちらまとめて 月賦で買います 今日はこんなところでおやすみなさい。
27日の土曜日に「13日の金曜日」をみた!!!以下、ネタバレがあります。 上の動画はジェイソン10作目の「ジェイソンX」予告編。一応13日の金曜日と最後に添えられているが、カリスマホラーキャラクター、ジェイソン様の名前が、タイトルのほとんどを占めている。 この10作目は、ジェイソンが宇宙に行くというので、頓智気ホラー映画を見るつもりでちょっと覗いてみようかなと思ったのだが、一作目からマラソンをすることにした。 そういえば同じく途中で宇宙に行く回がある映画シリーズ「007」