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秋元康の魔術

中原昌也の「人生は驚きに充ちている」のエッセイ部分を読んだ。大体半分くらい。面白い。

その中に、オリンピックの総合演出が秋元康になりかけていた話がある。東京オリンピックが決まった当時の、だいぶ古い原稿だ。読めばわかるが、当時は坂道シリーズではなく、AKBが覇権を握っていたのだ。AKB!!この型落ち製造品感よ。とまで言ってしまうと、さすがに今のメンバーに申し訳ないとは思うし、「根も葉もRumor」はカラオケで元気よく歌ったりする。
けれども、10年前のファッションや流行、ポップカルチャーが一番ダサい、が持論なのでAKBならもっと昔のモー娘。とかがいいなあ、とかぼんやり思う。

時がたち、実際に「オリンピック2020」を2021年にやったときは、AKBはさすがに過去のものとなり、坂道シリーズが天下を取っていた。Bishなど、オルタナティブなものもあったと思うけど、王道アイドルは未だに秋元康。


俺の中の康は、いつもスーツで笑っているのか無表情なのかよくわからない絶妙な面持ちでこちらを見つめているおじさんだ。彼は映画やったりとかまあいろいろやっている人だが、有名なのは作詞とプロデュース業だろう。
乃木坂46の「きっかけ」などはなかなかいい応援系ポップスで、結構好きな曲だ。だから何らかの巨大な才能である。何らかの。

というのも、康はすごい人なのかそうでもないのかよくわからないところがあるのだ。正確には、年を取った結果、表現にいびつさが目立つ。
明らかに最近の坂道シリーズの作詞の質は、玉石混合である。石、だったときはどこがだめなのか明白で、言葉にメッセージを求めすぎている、「○○だ」などと独特の言い回しが悪い意味で特徴になってしまっている、などだ。

だから純粋な作品の質を求めるクリエイターとしての側面を否定はしないが、もう一つの側面である「稼げる仕組み」を作った社長的な人、というイメージも強い。それがただの商売上手なのか、何かゆがんだことが起こっているのかはよくわからない。


たださっきも言った通り、康はあくまでおじさんである。坂道シリーズも一期生はどんどん卒業し、乃木坂に至ってはトップが三期生だ。どんどん後の世代が入ってくる。
その中で康は彼女らの意思を代弁し、歌詞を書き、歌わせる。その仕組みは非常にいびつだ。

欅坂46の平手友梨奈が特徴的だが、彼女が脱退した後も第二の平手を探し求めるように、中西アルノをセンターにしたり、彼女らの抑えきれない「自我」を表現し続けている。

だが、そんなものは本当にあるのか。「恋をするのはいけないことか」と康は書いたが、彼女らが恋愛禁止なのは有名だ。さらに康はこのルールを「本気でやっていたら恋愛している暇ない」と野球部の坊主頭徹底のように暑苦しく説明する。



そのような立場の人間が、恐山のイタコのように彼女らの魂を憑依させ、トランスさせて書いた歌詞を今度はアイドルに憑依させ、まるで自分の意志のように呪詛を吐き続けるのだ。この歌詞の主体は、いったいどこにいるんだ。

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