記事に「#ネタバレ」タグがついています
記事の中で映画、ゲーム、漫画などのネタバレが含まれているかもしれません。気になるかたは注意してお読みください。
見出し画像

哀れなるものたち(ネタバレあり感想)

以下、すべての文章がネタバレです。

ベラの成長は結構でこぼこで、高いところから物を落として手をたたいて喜んだり、歩くのもままならなかったり。子供のような感性を持つ一方、性的な興味はかなり早くから持っている。
性的な興味を子供が持つのは特段おかしな話でもないが、意外と達者にしゃべったりと、完全にすべての能力が足並みをそろえている感じはしない。以前、障がいをもつ子供は、例えば「3歳レベルの知的能力」などと言われるが、それは3歳と全く同じというわけではないという話を聞いた。なぜなら経験があるからだ。経験があれば、知的に遅れがあっても理解していることは意外と多かったりする。それが発達のでこぼこだ。
ベラがマックスのことを愛するようになるのも唐突に感じたし、耳をなめようとするのはどこで学んだのだろう。性器の触りあいや自分の性器を触るのは子供の問題行動としてありそうだが、ゴッドの外界から隔絶された城で、どのように「性的な行動の仕方」を学んだのだろう。

前半の物語は、ベラの性への興味の勢いで進む。ダンカンと旅に出るのも、「熱烈ジャンプ」を楽しむのが理由の一つだ。あとは抑えきれない外への関心もあるだろう。ベラが素直なまなざしで世界を見つめ、様々なことを楽しんでいき、偉そうなダンカンが彼女を持て余す姿は痛快だ。

ダンカンはベラと一緒に船に乗り込むことによって彼女を閉じ込めるが、そんなことでは知の冒険は止められない。人とのかかわりがある限り、知は得られる。ダンカンがベラの本を海に捨てたあと、老女がすぐさま新しい本を渡す場面は映画全体の中でも笑ってしまうシーンだ。

老女と一緒にいた男、ハリーはベラの希望に満ちた姿を許せず、ホテルの扉を開け、「助けられない人々」を見せつける。そこではホテルの階段が崩壊し、「助けられない人々」がいるスラムには物理的に行けなくなっている。ここではたと気が付く。前半では違和感(早すぎる恋、でこぼこな描写)のある部分が多かったが、自分はこの映画をまじめに考えすぎていたかもしれない。これはもっと想像力を働かせる、フィクション度の非常に高い話なのだ。

絶望を見たベラだが、それでも彼女は止まらず、傷つきながらも希望を行動に移す。結局純粋すぎたがゆえに、届けたかったお金は届かないのだが、彼女はハリーに「あなたは傷つきやすい少年」という。傷つきつつも、それを受け止め絶望を切り離していく覚悟を決める名台詞である。現実主義で現状追認しかしないハリーへの、100%の回答だ。

金がないベラは、職業として娼婦を選ぶ。ダンカンは寒さに震えているばかりだ(まあ、文無しになったのはベラのせいなのだが)。
娼館の主は、売春を巧みな論理で正当化する。ベラもそれには納得するのだが、彼女は娼館をより良い働く場所へと変えていこうと様々な提案をする。ベラにとって、娼婦は搾取される立場という「わきまえ」はないのだ。自分が求め続けた性行為を、ベラは初めて道具として使う。体を差し出すという上下の構造に気が付きつつも、彼女はクリエイティブな仕事を続ける。

そして物語は、始まりの場所であるゴッドの家に戻る。場所こそ同じだが、戻ってきたベラはもう別人のようだ。ここで彼女は多くの決断をする。自分の出自だったり、結婚相手についてだったり。出自にショックは受けるが、まったくこだわりはしていない。
マックスとの結婚を振り切って将軍のもとに行くのは、ダンカンとともに旅に出ることを選択したベラらしい。個人主義のベラにとって、パートナーは大事な人であれ、こだわりを持つ人間ではないのだ。
だからこそ、将軍が本性を見せ始めたとき、彼女は抵抗する。将軍はベラがこれまで振り払ってきたものの根源であった。

自分を屋敷に縛り付けようとしていたゴッドとマックス、女として、愛玩具として縛り付けようとしたダンカン。娼館は、ねじれた文脈でベラを縛り付けた。

トロフィーとして、性器として、女として。将軍はベラにピストルを向ける。戯画化された暴力を見せる将軍は、様々な「悪」の化身であり、ベラは物語の決着を迫られる。

その後の展開はだいぶ奇妙で、悪趣味である。そしてベラは閉じられた完璧な世界で笑っている。ベラはもうすべてに満足してしまったのだろうか?

そもそもベラは冒険の後、マックスと結婚するつもりだったのだ。彼女にとって冒険は知を得る手段であり、目的ではない(だからこそ読書にも耽溺した)彼女が屋敷で暮らしていても、ゼロに戻ったわけではない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?