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暴力的な言葉に物理的な暴力を〜やらないだけで、やれるんだ〜
メンタル、メンタルと連呼するやつには、その急所(例えば脛とか)を蹴っ飛ばしてやりたくなる。
何がメンタルだばかばかしい。お前は体が弱い人にも体を鍛えろというのか。
DVやパワハラなど、物理的に人に何かを当てて痛みを与える行為は、はっきりとNOを突きつけられる時代になってきている。
だけど、言葉の強さに関しては、まだナイーブな人の戯言と思われている節があると思う。
弱いメンタルをどうにかしろと言われた時、言われた方はどうしたらいいのだろう。ハイ!スミマセン!メンタル鍛エ直シマス!と心の鍛え方を調べ、マッチョなハートを手に入れればいいのだろうか。
僕は性格がいいが、怒りの感情は人並みに持っている。メンタルが弱いというのは侮辱である。
その人のバックグラウンドなど知ろうともしないと、個人のデリケートな部分に無神経に踏み込んでいる。
だから「メンタルが弱い」と言われた時は、相手を殴りとばすしかない。そのためには体を鍛えた方が効果的で、すると自ずと筋トレに意識を向け、メンタルの不調も改善されるだろう。
殴りとばす。いい言葉だと思う。端的に怒りが5文字に集約されていて、良い。ぶっさらう(日本映画『全員死刑』参照)とかは言葉が強すぎる。強すぎる言葉は自分を蝕む。
そして、自分より立場の弱い者を殴りとばしてはならない。それはただの暴力支配だ。
そうではなく、言葉という透明化された暴力の前に、可視化された物理的暴力で対抗する可能性を言いたいのだ。
だが、俺は実際に人を殴り飛ばしたことは一度だってない。これらは全てイライラしながら妄想したことだ。今まで述べたことは実際には、やらない方が得だと思う。
悔しいことに法律は向こうの味方だ。こちらに共感などしてくれる訳はない。手に輪っかかけられたくなかったら、殴りとばすことは永久に延期すべきだ。
それでも僕たちは、やらないだけで、やることはできる。その事実は僕たちに一種の余裕を持たせるし、希望でもある。
僕たちは対抗手段を持っているんだ。
そう思うだけで、無神経な言葉を跳ね返すことができるかもしれない。
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