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散文詩:『円環と大仏』

私のまわりに人はいるが、まるで関係のない人ばかりである。

あまりに希薄で、あまりに無意味。
泣き出しそうになるが、それをみてくれる人さえいないから、泣きださずに済んだ。

私の人生は歴史にならない。

私が何をやっても、システムの上で転がっているだけ。
作られたプログラムを毎日粛々と進ませているのだ。
それを得意と呼ぶのか、それともまた別の何か

ーもう1つの可能性については、今の私には過激すぎる言葉であり、直感が自動的にブレーキをかけてくれている状態である-

なのか。

私は今日も明日も同じことを繰り返すが、恐ろしいのは、仕事の内容、食べるもの、見るテレビ、新聞の一面、買い足さなければいけないものリスト
少なくともこれらは毎日入れ替わっているということだ。

私は私に欠けているものを理解している。
それは温もりを持ったネットワークであり、私の存在をドン!と咥えた釘で一点に止めてくれる誰かである。

私は、ささやかな抵抗として日記を書き始めた。

毎日書いたよ

すると、網膜の像に過ぎなかった人影が、めりめりめりと脳内で重みを持ち、周囲を押し潰しながらにっこりと笑い、まるで大仏のようにそびえたった。

あの人にこんなふうに笑いかけられたこと、あったっけ?

日記が埋まるごとに、大仏はどんどん生えてきて、重たく真下の床をへこませる。

押し潰されて見えなくなったところに、元々何があったのかはもうわからない。
素敵なものがあった記憶はないから、きっとただの余白だったのだ。

脳みそはいつしか大仏でいっぱいになった。

ささやかな抵抗であったが、健康に役立った。
健康になると、病に侵されていたことに気がつく。

私はこの運命と戦おうと、
何年経っても日記をやめないでいる。

私は愛することに決めた。
何も与えることはできないが、救われ続けている。

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