令和の北前船 2022夏 DAY6 地上の星たちへ -立山黒部アルペンルート-
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念願の立山黒部
山行から観光へと切り替えたため当初は予定に入れていなかった。
しかし、金沢滞在中にどうやら12日の天候が良さそうだぞとなり残りの日程を変更。
いくら登山を続けていたとしても、来年再来年と北アルプスに確実に行ける保証はないし、待ち望んでいた「いつか」は今回掴まなければ次はいつになるのか分からない。そのことはここ数年のコロナ禍で痛いほど感じてきたことだ。
結局登山を続けてきた身として素通りはできなかった笑
9月12日(月)。
早朝に金沢を出発し、北陸道をひた走り富山県入り。
石川県と富山県との県境には「倶利伽羅峠」があり、かつて平安末期に木曽義仲が平家軍を破った古戦場である。歴史ファンとしては訪れたかったが…また今度。先を急ぐ。
富山市街から見る立山連峰は巨大であり、古くから立山信仰が続いてきたことも納得だ。
立山ケーブルカー
9時20分、立山駅到着。
立山駅の手前には「芦峅寺」と呼ばれる集落がある。
飛鳥時代に佐伯有頼によって開山され、以来山岳信仰の舞台として発展してきた。「立山信仰」を各地に広める役割を担った御師たちの集落が芦倉寺であり、開山者のなごりなのか今でも「佐伯さん」ばかりが住む集落である。
登山者として聞き慣れた地名に、遠くまで来たという感慨が深くなる。
コロナ禍で山系の部活を辞めていなければ、立山には「文登研」という講習会で来るはずだった。予定より1年遅れ、今回は登山者ですらなかったが、学部のうちに立山の地を踏めたことは登山人生の中で素晴らしい思い出となった。今後登山を続ける大きなモチベーションとして、今回の経験は自分の中で間違いなく生き続ける。
黒部ダムのある「黒部湖駅」までの往復を購入。
黒部湖までは5つの乗り物を乗り継いで、最短で片道3時間の旅。
正直結構なお値段なのだが、普通のロープウェーでも往復数千円はするわけでその5倍と考えればかなり妥当ではないか。
始発のケーブルカーのみ時間指定されており、後は最終までに戻って来ればどの便に乗ってもいいシステム。
まずは一つ目の乗り物、立山ケーブルカーで「美女平」へ。
立山駅(標高475m)と美女平駅(標高977m)の標高差502mを7分で結ぶ。
アルペンルートはもともと黒部ダム建設の資材を運ぶのに利用されていたレールやトンネルなどを一般開放したもの。
ダムの建設費用をペイするという目的も多分にあるだろうが、こうして手軽に誰もが北アルプスの奥地を楽しめるのはありがたい限りだ。
美女平と室堂
一瞬で美女平到着。
駅を出ると、巨大な「美女杉」がお出迎え。
立山連峰の杉は立山杉といわれ、原生林に囲まれた美女平では立山杉が数多く見られる。すっかり観光の山となっている立山がまだまだ深山幽谷だった頃の面影を偲ぶことができる。
美女平からは高原バスに乗って室堂。片道50分の山岳ドライブだ。
バスが走る高原道路はガスが深く、日本一の落差を誇る称名滝もスルー。
植生を見ていても、ニセコパノラマラインや大雪山など見慣れた北海道の山々の風景とあまり変わらないかな…という感想で立山本体の感動は正直薄かった。
晴天の下、薬師岳や剱岳が望めていればまた違ったのだろう。
高原バスには観光客以外にも立山劔方面へ向かう登山者がたくさん乗っている。お隣の席の登山者は、70Lザックにピッケルとヘルメットを装着し、いかにも劔に行きます!な雰囲気。僕もMilletのウェアに登山パンツ、下はAltraを履いているので明らかに一般観光客ではない。登山目的で来なかったことを少しだけ後悔する。
山のお話ししてみたいな~と思ったが、いかにも高原バスは乗り慣れている御仁らしく話しかけるなオーラ全開で休まれていたので、僕も静かに窓の外の景色(とはいえガスガスだが)に熱中する。
室堂着。
標高は2450m。
ガスが深くなければ散策して氷河地形などを楽しむ場所だが、何も見えないので今回は乗り換えのみ。立山三山、劔に登りにまた来よう。
トロリーバス
室堂からはトロリーバスで立山トンネルを抜け大観峰。
立山トンネルは立山の雄山直下を貫く。
途中、ダム工事の難所だった破砕帯を通過。
トロリーバスは意外と速く、地下鉄のようなスピードですいすい進む。
立山ロープウェイ
大観峰着。
ここからようやく黒部の谷が見渡せる。
ここで「立山ロープウェイ」に乗り換え。
黒部平(1828m)まで標高差512mを7分かけて下る。
環境への配慮として、途中に支柱が1本もないロープウェイ。
ガスで視界の全く効かない室堂を越えた先の黒部の谷は、コロナ禍を耐えてきたここ数年が報われるかのような快晴。
黒部湖も綺麗に見えた。
黒部ケーブルカー
黒部平着。
ここから黒部ケーブルカーに乗ると、そこは黒部ダムだ。
乗り換えまで少し時間があったので、展望台を散策。
感慨深い景色…。
最後の乗り物へ。
黒部湖着。
黒部川第四発電所
黒部の景色
黒部湖駅からトンネルを抜けると、そこは黒部ダムだ。
186mもある堰堤をじっくり歩く。
堰堤を渡った先には慰霊碑がある。
黒部ダム建設工事では171名もの方が犠牲になられた。
その方々のお名前を刻んだプレートとレリーフが右岸に掲げられている。
手を合わせ、ダムが一望できる展望台へと向かう。
ダムの発電設備そのものはこの谷の地下深くに埋まっている。
いわば黒部峡谷自体が水力発電のための巨大迷宮だ。
夏場は、迫力満点の観光放水が行われている。
まさに、黒部ダムは地上の星だった。
地上の星たちへ
ダム全景を眺めた「新展望広場」。
その「新展望広場」の特設会場にはダム建設の歴史を伝えるコーナーがあった。
降水量が多く急流である黒部川は古くから水力発電の基地として注目され、開発の歴史は大正時代にまで遡る。峡谷沿いの道なき道を命がけで遡行する調査が始まり、昭和2(1927)年の柳河原発電所運転(これが第一かな)開始に始まり、黒部川第二(1935年)黒部川第三発電所(1940年)など次々と発電所が建設されていきました。
第三発電所の工事は言語を絶する壮絶なものであったと言われ、その様子は吉村昭著『高熱隧道』に詳しい。
黒部峡谷の電源開発の歴史は戦前から連綿と続いてきた。
この黒部ダムは、戦後に作られた黒部川第四発電所のダムのことを指す。
戦後、急速な経済成長を受けて関西の電力事情が逼迫。
黒部峡谷の上流に「くろよん」の建設が決定する。
昭和31(1956)年に着工し、昭和38(1963)年に竣工。7年の歳月と513億円の工費、延べ1千万人の人手、171名の尊い犠牲により完成。
令和の現在、電力問題は未だ解決しているとは言い難い。
人が文明を成り立たせる限り、エネルギー問題は答えのない課題なのかもしれないが、黒部の谷に眠る「地上の星」たちを忘れてはならない。
帰路
1時間ほど滞在し、黒部ダムを後にした。
帰りの黒部平からは後立山連峰の百名山、鹿島鑓ヶ岳が一瞬姿を現してくれた。感動でうるっときてしまった。マスクしててよかった笑
登山をしている以上、やっぱりこの切れ込んだ谷、美しい山並みを歩かずに終わるわけにはいかないと改めて思わされた。
黒部峡谷は自分にとってのアナザースカイになった。
一つの夢が叶えば、また一つ新しい夢が生まれる。
この先、登山者として何度でもここに戻ってきたい。
今回ガスで姿を現してくれなかった山々に登りに来なくては。
アルペンルートは2024年に黒部峡谷鉄道の終点、欅平と黒部ダムを結ぶ新ルートが一般開放される。
登山をやっている人であればこのルートがいかに革命的かが分かると思う。
次の記事は「DAY7 世界遺産 白川郷・五箇山の合掌造り集落」です!
今回もありがとうございました!
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