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「3月」の便益を考える

便益とはマーケティング用語です。ヘッダ画像をお借りしています。

の割にマーケターがあんま口にすることがないので、世のマーケティング技術がそこまでの水準に達していないことも暗に示しているだろうことが想像されてがっかりです。

だけど、世間にあふれる押し付け宣伝や「ユーザに不便を与える」という形で無理やり普及を狙うマイナンとかを見てると国家単位で低レベルのマーケティングが大好き、あるいはその域が頂点とか思ってそうに感じられるため、もはやこの国の人種の上昇志向に期待するのが間違っているのかとも思える。

これはダークパターンマーケティングという、情けなく不幸なマーケティングの一例なのでより深く知りたい方は下部に設定したリンクにあるマガジンから適当にお知りください。上述の例からわかる通り「ユーザをだまくらかすことに命を賭けるような連中が思いつくアイデア」なので、不快な内容が多い。

3月の便益とは

3月の便益とは何だろう?便益とは、ある商品・サービスが持っている顧客インサイトのことです。

顧客インサイト

顧客インサイトとは何でしょう?

潜在的な欲求の核心をつくもの
顧客インサイトとは、顧客自身も自覚していない潜在的なニーズです。表面的なニーズ、例えば「靴が欲しい」というように顧客が意識しているものではなく、なぜその商品が欲しいのか、表層的なニーズの裏にある欲求を指します。

https://promo.digital.ricoh.com/chatbot/column/detail128/

この参照にした場所を下げるようなこと言いたくないんですが残念なことにこの説明の後、潜在的なニーズを理解するには顧客インサイトの把握が~という軽く矛盾した意味不明な文を書いているので多分リコーの社員が書いてるんじゃなくて外部委託してるのでしょう。

ここで「リコーほどの企業が言う事なら……(信じてやるか)」みたいに本来生じうるであろう顧客インサイトを見事に取り逃してるといいますか、裏切ってる。リコーというブランドイメージに傷をつけている。当該メディアサイトをSEOのために創り、委託先から上がってきたこの文をそこまで精査せずにOKサインを出したリコーの担当者がですね。

ニーズという言葉の意味を「表層的かつ顕在的な欲求」と「潜在的であり本人すら気づけない欲求」として分解しているのに、ニーズとインサイトを一緒くたにしてしまってるので読みのノイズとなる。別のサイトでは顧客インサイトとは潜在的なニーズのもっと向こうにあるとされている。

「3月」とは商品やサービスではなく特定の期間

めっっっっっちゃ話が逸れました。つまり「3月」という商品でもサービスでもない単なる「期間=時間帯」が、人間が深層心理にて求めている気づきもしないニーズを持っていなければならないってことになる。「3月の便益を考える」とはそういうことです。

でもこれだとまだちょっとわかりづらい。

例:コンビニの便益とは?

コンビニエンスストアの便益を考えたい。コンビニはその存在が当たり前のものとなりすぎて、潜在もくそもなく「人様なら使って当然やで」的な、「コンビニごときどこにでもあるべきであり、使い倒されるためにあるんだろうが?」ぐらいの要求を常に受け続けているといえます。

1、そこにあって当然 + いつ行ってもいい

早くもここで「存在してて当たり前」というコンビニに対する向き合い方から「移動できる生き物であればいついかなる時でも訪れて何らかの『便益』が得られる対象である」という便益を持っていることがわかる。
これはインサイト側としてもいいでしょうか。当たり前だと認識しちゃってるってことは、コンビニのひとつやふたつそこになきゃおかしいだろという考えが通念になっているということであり非常に非SDGs的な危なっかしさを持っている気もしますが

2、非接触・会話レスな売買

次からは別に潜在的なニーズじゃないとは思うんだけど、会計システムが基本的に最先端だから、キャッシュレス決済とかで「誰にも会わない・会話しなくてよい・非接触」という便益もある。

3、買える便益が他ジャンル・網羅性

そして「(外部との値段比較が気にならないのであれば)どんなジャンルの商品が手に入る」も便益だろうか。

3.5、生活インフラが(一時的に借りれ)ある

いっそ「駐車場があり、お手洗いがある」すらも便益ではないだろうか。

便益には機能的価値と情緒的価値がある。3月の価値とは?

このように便益には機能的価値と情緒的価値があります。

今あげたようなビニコンの価値(便益)とは、一貫して機能的側面しかもっていませんでした。

コンビニに情緒的価値が見いだせない理由はめったにコンビニ行かないぼくがやる気ないから……なのもあるでしょうが、ぼくの見識が甘いからでしょう。行ったら広い静かなイートインがあって安心する、みたいな地域密着型ビニコンもあるんじゃないでしょうか。

ただそれは、その店舗が「独自に」生み出した便益であり、その種類のチェーン全部がそうなるとは全く限らない。

そう考えると3月の便益とは情緒的価値に全振りしちゃってんじゃないの?みたいな予想がつきます。そもそも勝手に生き物側が3月と名付けて他の季節と分断しただけのこの時期をマーケティング的便益で推し量るなという意見もあるでしょう。

実際ヘッダにも借りたようにこの時期しか咲かない花があったりする。これは3月だけにしか得られない情緒的価値です。

3月の便益とはリセット機能

情緒的価値を考えるのは簡単そうだから3月が便益として持ちうる機能的側面について考えたい。奇しくもぼくは上記のように、物事に対して機能的価値しか見いだせないらしいから。

3月とは年度末で別れの季節ですね。これは3月が来れば自動的に最高学年の人々や最高勤続年数の人々が今いる場所から解き放たれる社会的文化に基づく。なんか知んないけど(マジで意味不明だ)端っこにある12月や1月じゃなくて3月にすべてが終わり、始まる。

つまり3月には強制リセット機能があるといえます。

いわゆるリセット癖がある人だろうがない人だろうがリセット癖を発揮しなければならないし、発揮されなければならない。人はそれをリフレッシュとか新生活とかきれいな言葉で装飾します。

実際に商業マーケティング的な意味でこれらの言葉がこの時期使われすぎて、その薄っぺらさに辟易している人も多いんじゃないだろうか。

リセット癖自体はその人の個性といいますか権利であると思うし、ぼくは否定できないけど、世間一般にとってはそんな良いイメージがない気がする。リセット予備軍もそうそうリセットしたいと思っても実行に移しづらい。

でもそれが許されるのが3月なわけです。それが便益だ。思えばある一定の期間を12個に区切って、その中のたったひとつの分節でしかリセットしちゃいけないってのはなかなか厳しくないだろうか。命とは有限なのに。

逃げるは恥だが役に立つとか言われたこともあるんだし、いつ逃げてもいい。といいますか……逃げ、というとめっちゃマイナスなイメージがありすぎるのが良くない。逃げない然としたプライドが蔓延しているこの社会風土がよろしくないのでしょうか。

3月はそのような「いつ逃げてもいい」という動機づけ、理由付けに役立っていると言える。いじめられた子が6年も3年も我慢するなんてほうがおかしいに決まっている。6年後の3月、3年後の3月にしかリセットしてはいけないなんて誰が決めたのだろう。

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