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レディスフォーは第一次シティ・ポップの最後だったのだろうか

ぼくらの多くは昭和時に流行ったという第一次シティ・ポップブーム的なものがあったとされる頃には死んでいた(生きていなかった)のでそれをよく知らないはずです。ヘッダ画像をお借りしています。

そして今、昭和レトロブームが国内で先に来たのか海外でのJapaneseシティ・ポップブームがSpotifyなどグローバルな接触先とかの効果で逆に日本に帰ってきて、昭和レトロと一緒くたに回帰したのかはわかりませんが確実に一定のシティ・ポップブームがある。これを第二次シティ・ポップブームとか言えばいいんだろうか。

いま現在最強最新のシティ・ポップとはなんだろうと考えると、山下達郎とかは「すでにあったシチー」なので一旦べつとする。

となると最新のとは、いま新しく造られたシティポップであるはずだ。だってEDMとかギターロックがメジャーな折にわざわざ新しく1から創るわけです。

これも海外の人(←)と日本の人(?)(→)が歌っていて、海外の人は日本の人をエンターテイナーとして尊敬しており、同時にもともと達郎とかが好きで歌っていて恐ろしく歌がうまかった。

そして日本の人側もシティポップといいますか昭和レトロがお好きでそういうステージを毎年開くほどだった。

め組のひとをカバーしたら令和世代から自分の歌だと思われて困惑してしまったらしい。だからお互いの趣向がかなり近く、国内外のタッグで「最新のシティ・ポップ」を生み出した。昭和期に国内外が協力してシティ・ポップを唄うなんて起こり得たのだろうか?ジュディ・オングとか欧陽菲菲とかが誰かとデュエットとかしてたのだとしたらそうなのだろうか?そもそも彼女たちはシティ・ポップなのだろうか?

かくして第一次シティ・ポップとは謎に包まれている。

で最初のリンクを聴いてもらえればわかるんだけどシティポップですよね。いま言ったように新しく造られたシティポップである。では、第一次シティポップではないシティポップとはなんだろうか?第一次シティポップへの憧れがあるあまりに、第一次シティポップを研究した結果、第二次シティポップとして第一次のクローンを生み出すことに成功した、という見方が正しいのだろうか?

だって、ぼくらが知らない第一次シティポップをやっていた人々とは別にそれを「レトロで逆にかっこいいシティポップ」と認識して造ってたり歌ってたり聴いてたりしてたわけではないはずだからです。現役当時に作ったものを、レトロでかっこいいとはなかなかならないはず。今みたいに意識してレトロを作ったのではない限り。

当時としては最新の歌だった。最新のかっこうよさを探求していただけでしかなかった。純粋想起で格好いい歌を造ってたら、後の時代から勝手にレトロでいかすぜ、シティポップだねと呼ばれるようになった。

つまりSINKIROU(注意:ぼくはヘボン式ローマ字が苦手なので、製品はこんなかっこよろしくない表記じゃないですよ)を造ったカンケがその文脈を読むちからが恐ろしく強かったのでしょうと思うんですが、余談ですが本筋にちょっと関係あるので述べるけど、たしかにカンケはぼくが血眼で楽器の練習をするための歌を買い漁っていた頃に、シングル8cm版(恐ろしく安いわけです)だったかARUBAMUサイズだったか忘れたけど恐ろしく数量を見ることが多かったミュージシャンとして心に刻まれていた。

その歌が昭和にリリースされたのかどうかまでは見なかった。つまり第二次シティポップを創るに足る助走がカンケの中にはあったから、ノウハウが詰まっている人だったから、このような素晴らしい歌を作れたのだとも捉えられる。

その上でSINKIROUのイントロを聴くと、あるテーマが思い出される。それがレディスフォーというかつてあったとされる主婦向け番組の通販コーナーでかかっていた歌……といいますかBGMです。

ピアノのよっつの音で蜃気楼は始まるけど、音階こそ違うけどこのレディスフォーの通販もそのように始まる。で中間の一番盛り上がるコーラス部分の直前のそれが、蜃気楼のイントロにほぼ近いわけです。ぼくは蜃気楼のイントロを何回か聴いた時にそれを思い出した。あ、初めて聴いたときの既視感はレディスフォーだったんだ、と(別に盗作とかそういうことを言ってるわけではない)。

多分レディスフォーは昭和とかに始まって平成に終わってるはずだと思う。ウィキペとかに書いてあるだろうから興味があれば調べてみてください。別にここ研究文とかじゃなくて思想の押しつけとかがしたいわけじゃない上に本筋に関係ないから細かい裏取りとかはしません。

レディスフォーは言いづらいんだけどあるラジオ番組でいじられていたから知っていた。それで実際に方法を尽くして見たら、各種BGMが「モダン」だと思ったのでした。つまり昭和レトロブームなど来ていない時期における、「ナウい」「トレンディ」「いかすぜ」みたいな感じといえますでしょうか、あえて古いという単語は使いたくない。主婦層にはそれが刺さっていたはずだから……

なぜ、そのように思えるBGMなり世界観づくりをレディスフォー側がしているかなどということは当時考えなかった。しかしながらこうしてシティポップ、とりわけ現在の第二次シティポップ形成のバックヤードについて思いを馳せた結果、第一次シティポップの人たちとは別にそれがシティポップとか、あとあとレトロだとか言われるために造ってなかったし、最新のリフとかメロだと思って造ってたはずだと上述しましたね。

つまり全力でシティポップを造っていたけど、徐々にシフトしていったはずなわけです。平成の中間ぐらいにレディスフォーが流石に終わったと仮定すると、R&B絶頂期だったでしょうか。最新だったシティポップを創る人は徐々にいなくなり、メインストリームのHIPHOPやR&Bに移行していった。斯くしてシティポップは、第一次シティポップは終焉を迎えたのだ。

レディスフォーは最後まで残っていたシティポップの香りだった。別に意識して残していたのではなく、それが脈々と昭和期から続いていたから、新しく劇伴?的なのを発注する費用も抑えたいからしなかった。ところでなぜゲームやアニメのサントラはリリースされるけど、テレビ番組のサントラってないのだろうか。上記中古CD屋とかをめぐると、とんねるずのみなさんのどうたら~みたいなのの歌集(うたしゅう)とかが売られてんのはあったけど、でもそれは結局歌集でしかなく、背景を想像するに面倒なオフィスが絡んでそうな気もする。もじもじくんとかのBGMってオリジナルじゃなかったんだろうか。

完全に余談だけど、ゲームやアニメのサントラが売れるのは、抱合せとかでいまでいうアクリルパネルみたいなのを添付して売ると狙い層が一定数買ってくれる保証が秋葉原文化の中に内包されていたりしたからだったのだろうか?声優さんのボイスドラマを初回だけつけますよ、とか……

レディスフォーは当人たちが意図せず残していたシティ・ポップだったのかもしれないけど、そこで使われていた音飾とは、番組のターゲット層であった主婦連に刺さるような仕様だったはずだった。つまり昭和ぐらいに始まった当該番組の頃~そして平成中期あたりに主婦だった人らのことを考えると、1920~1950あたり生まれの人々がターゲットと言い換えることができる。

つまりシティ・ポップに憧れる人とは、あるいはこれから第二次シティ・ポップの魁となり、単純に歌の良さをこれからも体感したり、自ら作りたいと思う方々は、この世代の感性と異文化交流・接触することでより強いシティ・ポップパワーを手に入れられるのではないだろうかと思うのですがいかがか。

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