プロとして――――――――――――――――――――――――

この前ファブルの映画がオンエアされたっぽかったため観る啓蒙をしたことがありました。ヘッダ画像をお借りしています。

啓蒙している本人が見てないのもどうかと思い、映画を見ました。そのため感想を書きたい。ただし一個目の映画です。

岡田

ぼくは漫画のもともとのファブルをいま連載している漫画の中では一番面白いんじゃないかと思っています。三浦建太郎に無念がなければそうなるでしょう。

ファブルではやたらとダッシュが使われていてぼくは好きです。題名にも使った「――――――」ですね。

結論からいえば映画を造る人々なんてそれはそれはまさに「文化」をおつくりになられるも同義であるぐらいの熱情がないとできないと思っているため、映画としてプロが造った上がりになっていた。

ただ「――――――」は再現されてはいなかった。どないして再現すんねん――――――

ぼくはジャニタレに全く興味がないんですが、岡田がスタントをほぼ使わずに演技したい系の人だと知っていて、その方面から岡田が佐藤明の役になったことを「そうか……」と次第に受け入れていきました。もともとは抵抗が合ったのでしょう。だから今の今まで見なかった。

悪い点

ファブル映画に言うことがあるとすれば――――――これは別に監督がアカンいうやつとちゃう、どのような映画にも言える思いますが――――――白黒フラッシュ炊きすぎの演出せんでもえんちゃう――――――と思った程度でした。程度とはいえ、結構な重要度だと思っています。

急な白の点滅はめちゃくちゃ目に悪いです。ブルーライトカットの眼鏡とかかけててもあまり効果ないはずです。

映画というエンターテインメントは、先にも述べたように非常に文化として大切なものではありますが、視聴者がいなければ成り立ちません。つまり視聴者の視力を映画により落としてしまっては、仮に映画を「エンターテインメント性経済循環機」として捉えた場合、当該経済を回転させる段階において矛盾が起きます。だってそのエンタメを消費する人々の視力を奪ったら映画なんて見れなくなる。消費できなくなる。消費する人がいなくなればその経済は終わる。

持続可能な映画づくりが為されたほうが良い。つまり映画のSDGsです。視聴者に媚びろと言っているわけではない。後は冒頭とケツに登場するナンパ野郎に映画俳優としての実績を与えるべきではなかった。

後書き

もっと書こうとしているのに字数と時間が来てしまった。つまり岡田准一にも木村文乃にもここまで文句が出なかった自分に驚いています。浅草キッドを見たばかり(配給当時に)なので、柳楽優弥が原作の世界観から逸脱している単なるカス野郎で悪なんですが、やっぱ柳楽の動きには説得力があんな、と郷愁にも似た気持ちを抱いてしまった。ぼくみたいな原作だけ好きなやつは、本来どう思うべきだったんだろう?

したがいまして明日以降もファブルの感想を書きます。ジョー・ブラックをよろしくとソーシャルネットワークの続きと、セントラル・インテリジェンスの感想も書きたかったんですが……


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