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フレーム化によるフランチャイズ、チェーン経営の行き着く先は単なる優良誤認化なのか?

客が「あ、個人が運営しているラーメン屋なんだ。入ろ」と思って入ったラーメン屋がチェーンだったら、それは優良誤認にはならないのだろうか?と思ったことがございます。ヘッダ画像をお借りしています。

というのも昨今では看板を「いかにも個人商店ぽい感じ」にして掲げて、店の外観とか店名とかはほとんど共通点がないのに完全にチェーン店として運営している麺屋が多いらしくて、ちょっと驚いて時間が止まってしまった。

「おいしけりゃ何でもいいだろ」みたいな向きもあると思うし、企業のフレームワークを用いて人件とか集客とかなにから何まで方法論的なものをシェアしてもらえるなら、それはもともとチェーンに入る前の店を運営していた個人事業主からしたら天啓みたいなものかも知れません。そういった考え方を否定するつもりはない。

一方………………………………チェーンじゃなくて、個人が徹底的に拘った調理方法だの素材だので食わしてくれるんだろうな、みたいのが個人商店としてのラーメン屋の看板を掲げた場合には担保されるといいますか、少なめに展望しても最低限「結果的においしかろうと、自分の好みには合わなかろうと」保証されるように思えてしまう。

食い終わった後に「えっ……チェーンだったの………?」みたいにもし消費者が思った場合って、……見た目を額面通りに受け止めてしまったことがいけないんでしょうか。ラーメン二郎みたいなもんで、別にラーメン屋だってチェーンぐらいすんだろ、とか……楽観的に捉えればいいんでしょうか………

でもバーミヤンが配膳するラーメンを個人商店の味だとは思って食わないですよね。それはバーミヤンが見た目を必ずバーミヤン然としたものにして社会に対して表明しているわけでして(もちろんバーミヤン然とした見た目により「この程度の価格帯ですよ~が消費者側から判断しやすいというメリットはある。ラーメン二郎もそういう意味では同じといえるでしょうか)、バーミヤンであること、スカイラーク系であることを完全に隠して「麺屋バミ亭」みたいに看板をすげ替えて店を林立させたらどうなるでしょう………………?

もし仮に当該チェーンでラーメンを食った客が「あー美味しかったなあ、やっぱり個人商店のラーメンには独特の趣があるなあ。来てよかったなあ」と金銭を払って何も知らないまま帰った場合、チェーンの母体は、そしてチェーンのノウハウなりフレームワークなりに完全合意した店側は未必の故意とはならないんでしょうか。

他にも、「新型ペポナウイルスの影響下で苦境に置かれた個人経営の店舗に何かしら貢献したい」とか思った消費者が後からチェーンに金を落としたのだと知った場合……何か不思議な体験をした。


#ケーザイのナゼ

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