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林業のえいが(Wood Job)のかんそう

林業について書かれた映画の感想を書こうとしたら時間も文も足りなかったことがあったのでその本懐を遂げたく思います。ヘッダ写真をお借りしています。

見た映画はWood jobという名称であり、ぼくは特に登場する俳優すべてにおいて興味を持っているわけではなかった。見た理由は

「現代造られる映画ならば、決まったテーマがある場合そのディティールをつぶさに取材し、リアルな絵で視聴者に届けるはずだ、でなければ批判が集中するだろう」

というものです。結果的にこの考えは正しかった。ドキュメンタリーで林業について見ればいいじゃん?という意見が投げかけられたら、その通りであるとぼくは答えます。その方がいいでしょうけど、気が向いた時に見れる林業のドキュメンタリーなんてないんですよ。

俳優に思い入れがないから、主役の人が表現する「ステレオタイプな『自分固有の価値観が持てない今どきの若者』」感への抵抗が凄まじいものだった。

もちろん脚本だの監督だの裏方の指導とか演出意図なのかも知れませんし、映画を見る人はぼくみたいに林業に詳しくないから見るはずだという前提のもとに造られているため、視聴者と同じ「林業について門外漢であり、何も知らなければむしろ抵抗感さえ持っている」奴を配置して感情移入してもらおうという意図さえあることでしょう。

映画って120分あるし、林業が嫌いだった主役もそのうち60分も経てばどうせ林業が好きになんだろ、みたいな概算を持って人は映画を見る。で、それも当たっていた。当たっていたから嬉しいとか悲しいもありません。多少なりとも林業のリアルが覗けたことがこの映画の教訓だった。

主役のステレオタイプ若者像は身体をふらふらさせながら半笑いで首を傾けそこらへんを掻くというものだった。不審者かよ

ぼくはその後だったか直前にテラフォーマーズの映画も見たんですが、ここでメインの主役団を半分裏切り独自に動いていた結構なメインキャラを演じた女の人がこのステレオタイプ奴を演じた人の奥さんだったと後から知って大いに驚いた。映画がテラフォーマーズなので、その人も当たり前のように死んでしまうんですけど……CG処理であっさり死ぬ描写が書かれる人々についてぼくは思いを馳せることがあります。それは彼女らの親御が見た場合にどう思うのか?というものです。これこそステレオタイプな親子像なのかも知れませんが、それをポートフォリオだから見ろ見ろというのも結構酷なことなように感じる。

テラフォとかについて考えてたら、肝心のWood jobについてあまりお話できなかったためまた両者ともいずれ続きをお話したい。お読みくださりありがとう。


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