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「自分の考えこそが最善策」と信じて疑わぬ女に振り回されるな

むなくそ映画とは「なぜそこまで金だした顧客に不快感を与えねばならないのか?」というあたりの造られ動機にまで回帰することでその映画がこの世に存在する理由がおぼろげに理解できるんじゃないかとぼくは思っています。ヘッダ画像をお借りしています。

今回紹介する映画はディープエンドオブオーシャンです。監督の意志が視聴者に不快を与えることなんだったとすれば、主役のミシェル・ファイファーはこの意志に100%コミットメントできている。

つまり観客はミシェル・ファイファーの一挙手一投足に対し不快感をいだくことになるし、監督のニーズに100%応えられるファイファーの実力たるやえげつないレベルだと形容できようものなんだけど、ぼくは漫画とかの悪役を額面通りガチ嫌いになるタイプなのでマジできつかった。

ディープエンドオブオーシャンとは、120分不快で最後の3分にカタルシスがある映画であるといえます。これはものすごい内容ばれなんだけど、それを知らずして観ることはあんまおすすめできない。それぐらい最後以外の120分がただただ不快に流れて終わる。途中で観るの辞めた人もいるんじゃないだろうか?

イコライザー2が素晴らしすぎたのでその続きを書こうと思ったんだけどディープエンドオブオーシャンのきつさに頭が乗っ取られてしまった。

何が不快なのか?「自分の考えが誰にとっても最善策」であると断じてやまないファイファーです。

もっとも、最初はそんなことないんです!!!子どもを失ったファイファーが素直に可愛そうだし、事件が起きたパーティ会場でガチ目に狂っちゃうし、あー精神を病んでしまう系の映画かと思える。でも序盤からやんわり始まっていた毒親(←めっちゃ手軽で簡単なネガティブ形容なのでこの表現あんま使いたくないんだけど)ぶりやその後の独善的な生き方で「子どもをなくした親」への同情なんて吹っ飛ぶ。

端的に言えばファイファーのミスで次男が誘拐されて10年ぐらい喪失した。で実は原因が長男にあることが最後の3分にわかるんだけど、おおよそ人の親なら長男を責める気にはならない。ぼくのような経験が浅いやつとか「親にだけは愛された引きこもり」的な人なら長男を責めちまうかも知れない。でもその気持ちはそれはそれで大事だろうからぼくは同意しないけど否定はしない。

ぼくが同情した「次男を失うことにつながった長男の行動」とは、母さんであるファイファーに愛されなさすぎるためパーティ会場で次男の手を握っていなければならなかったが手を離し、どこかへ消えちまえクソ野郎と言ったことです。

でも誘拐の実行犯は会場内にいた別の「理解不能メンヘラのちに自殺女」なので別に長男を責める気にはなれない。なんたって子どもには責任能力なんてないから、ファイファーみたいな自分本位女から金を払ってる間に次男を見張ってろなどと命令されたごときで(もちろんぼくは次男が嫌いではないしむしろ好きだからひどい目にあってほしくないし、次男をこそ責める気すらないが)仮に次男がその場でぶっ殺されるような事故に遭おうが遭うまいが長男は何も悪くないとさえ思う。

だってのっけからファイファーは長男と長女に愛情持ってんのかこいつ?って思うぐらい次男しか見てないンすよ。

で次男が誘拐中の間(10年ぐらい)、ファイファーは自分を責めるのはあるんだけど他に長男と長女がいるのに彼女彼らに「わかって」だの「そうしたいはずよ」みてえな決めつけをして、「親として自分のガキに望む期待通りの行動」をさせようとする。書いててイラが走ってしまった。それぐらい攻撃力が高い。

「自分の認める様式」以外をこの女は認めないわけです。次男を失って初めてのクリスマスだか感謝祭だか(行事の差異なんてマジでどうでもいい。アメ人は謎の文化を重んじ過ぎだ)に夫の妊娠した姉だの友達だの叔父夫婦だのが訪れて、ファイファーの喪失感を補填してやろうと頑張るんだけどファイファーがぬかすのが「この茶番はなんだ」的な台詞。お前マジか?

だったら最初から参加すんなよと言える。夫と長男、次女だけ出して部屋で寝ていろ。

次男が見つかってからのカスさも凄いんすよ。そちらについては、多少まともだと思ってた夫までファイファー化し始めるのでガチで見苦しい。視聴継続が不可能だ。困難だ。でもこの通り見た。

次回はそんな終わってるファイファー家族のダメさ加減についてより言及し、この映画が撮られた理由について考えよう。まんまこの題名なんだけど。

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