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AIによるディグりにコンセンサスが得られるか

得られない。ヘッダ画像をお借りしています。

#AIの活かし方

つべのアルゴリズムが少し変わり、見ているチャンネルに「完全に無関係な」ムービーが表示されるようになった。これは日の当たらないチャンネルにユーザとの出会いの機会を与えてやろうという最低保証の施策なんだろけど、ここnoteにおけるAIなんたらのコンテキストメニューと同レベルで不必要である。

つまり現時点ではつべというプラットフォームにおいて新規発信者にとってはAIが活かされてるのかも知れないけど、無差別テロみたいな状態を「活かし」などと称して良いのか甚だ疑問である。

頼んでもいないのになんで一方的に、勝手にプラットフォーム側がこれ見ろアレみろって勧めてくるのって最低保障だけじゃなくても「意外な出会い」みたいに思わせて、UGCを引き出したいんですよね。

UGCとはユーザジェネレイテッドコンテンツです。現代、ユーザがソーシャルネット上で何か好きだと表明する行為は広告塔の役割を果たします。SNSで無償で広告することです。自分が好きなことを承認欲求と引き換えに周囲に押し付ける行為について、全市場が注目してしまった。これはSNSの腐敗であるともいえる。

だって純粋な意志で好きなことって発されるべきなのに、その好きなことを創出してるメーカー側はそうされることを予め目論んでいるわけです。これって純粋か?

ぼくは以下のようにつべでキャンプとか静かな暮らしみたいなムービーを見ることが多いからか、

人生リタイアして原始生活はじめましたみたいな人の暮らしを撮って出ししたムービーみたいなものが当該「AI一方的ディグり機能」により寄越される。

AIレコメンドがなければそんなの一生知ることなかっただろ?感謝しろとプラットフォーム側からは言われるかも知れないが、べつにそんなものは検索窓に自発的にプロンプトを打ち込めばいいだけの話なわけです。表示された中から、自分が気に入りそうなものを「自分で選択」する。この選択の自由度がAIによって奪われた状態だ。非常に能動的ではない。

また近年では検索結果すらAIが謎の忖度を噛ましてくる。つまりお前が好きそうなものを上位に表示してやっよwww機能である。要るだろうか?例えばつべを見るという極めてプライベートな時間に、AIとはいえ他者の「気を利かせ」が介入してくることについて「頼んでもいないのに迷惑」とならないのだろうか?

つまりAIとは、ユーザが能動的に選択、自由に泳ぐための「海」だけを表示すればよい。価値観のせっまい15m×15mのプライベートビーチなど必要としないのだ。

今日も旅家を見ているからか、しょぼくれた人が田舎で家を改装して住むみたいなものが表示された。ぼくは1.75倍速でそれを見たが、生活垂れ流しコンテンツであることはわかるものの、なんか食う咀嚼音までそのまま収録してい、気分が害された。このようにAIに任せた結果、不快なコンテンツと出会わされたわけだ。ぼくは咀嚼音とは仮想存在のそれからしか得たくないというポリシーを持っている。仮想存在とは「演じ」ではない。

エンターテインメントとは選ばれてこそ愛着が湧くものなのではないだろうか。そして自発的に周知したいと思うのではないだろうか。それをあたかもいいからUGCを量産するためだけの装置になれ、と所構わず表示して来、摂取をユーザに強いるだけのAIに存在価値があるとは思えない。







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