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情けない凡人に生まれろ

ぼくはゴッドファーザー3を見ました。ヘッダ画像をお借りしています。

ぼくはゴッドファーザー3を少しだけ見て寝かせていたことがあった。そしていつしか再生リストから消え失せてい、しまった期間をのがしてしまったのか……と落胆していたら、そんなことはなくクソ焦った。そのような経緯で焦って「消化」してしまうのは本意ではなかったのだが、結果的に凄まじく良かった。

中には3は外伝的蛇足みたいな評価もあるようだが、ぼくにとっては衝撃的だった。おもいっきり内容ばれを書いてしまうと(まだ見てない人はここから下を一切見ないようにしてくだ)マイケル・コルレオーネファンにとってこの題名にまず驚いてしまうことだろうが、

「ゴッドファーザー最終章 マイケル・コルレオーネの最期」

驚くことにマイケル・コルレオーネの死は描かれない。つまり題名が嘘をついている─────といいますか、題名がその後のマイケルを語ってしまっている。フランシス・フォード・コッポラが書いた最後のシーンのその先を、題名が語っているという少なくともぼくはこれまでに一切聴いたことがない映画である。邦題をつけた日本人の余計な裁量だったら許さない。

ぼくは途中まで見たと言ったが、そのせいで前後の整合性があやふやになってしまったので各種考察サイトを見に行った。ぼくは他者の考察が好きなわけではなく、結果的にそういう場所しか選択できないというだけだ。映画のあらすじが書いてある場所の選択肢とは非常に少ない。

その中でフレドという名前が出てき、ぼくはものすごく簡単に「誰だっけ?」という気持ちになった。あれだけ印象的だったゴッドファーザー2の最後で死んだマイケルの出来の悪い兄貴のことを完全に忘れてしまっていた。カルロとかソニーみたいなカスのことは覚えていたのにだ……

結論から言えば、フレドのような「異彩」つまりコルレオーネという家系にいるべきではなかった才能なし野郎とは、視聴者にすらこうもあっさり忘れられてしまうほどの脇役でしかないのだったということが明確に描写されていたという残酷さを思ったのだった。

フレドは弟のマイケルに散々っぱら迷惑をかけた上に死ぬ。何度もマイケルはこんな出来の悪い実兄を許そうと救おうとしたけど結局仕方無しに殺した。流石に手をかけたのはマイケルではない。ドンがこのような小物を殺してはならないのだろう。

ゴッドファーザー3ではあるシーンでフレドの名前が出てくる。ここでガチ目に「誰だっけ」を味わう羽目になったのだが……マイケルの妹……?だったかそれも忘れてしまったけど、コニーがフレドのことを海で溺れて死んだと言っていた。ゴッドファーザー2の最後とはこのように終わる。

マイケルの子供と仲が良かったフレドは、
ある日マイケルに許されたという空気の中子供とともに釣りに行った。
なんだか知らないがマイケルの側近もついてきた(もちろん殺すためだし、マイケルの子供を守るとか言ったんだろう。合理的だ)
子供を置いて、なんだか側近と二人だけで船を出した(子供が疲れた?)
二人きりになったので、沖合に行って撃たれてエンドロール

というものです。

ここまでのフレドの馬鹿っぷりで、普通の視聴者は多分さっさとマイケルのために殺されろと思ってはいるものの、「マイケルからすればあれだけ冷徹に生きてきたにもかかわらず何度も殺しを躊躇った奴を殺さないといけない心境というクソ大きなもやを抱えながら終わる」というすご展開について大きな感銘を受けるはずなのにぼくはマジで忘れていた。

つまりフランシス・フォード・コッポラがフレドをそれぐらい印象に残らないような、コルレオーネファミリーにはとてもついてこれないような男として徹底的に描写することに成功しているといえる。

同時に、ヴィトーやマイケル、その他印象的な側近たちとはいかにマフィアであったか、その狂った市場で生きる術を持っていた=どこか常軌を逸しており、その才覚に満ちあふれていたかという対比をえがくことにも成功しているのだろう。

その中でフレドとは視聴者そのものである。視聴者はマフィアにはなれない。マフィアにならないという、マイケルが憧れ待ち望んだ生き方をそれまでもそれからもしていくのだ。視聴者とは、決してマフィアのような世界になど関わるべきではないのだ。

フレドのようになんの尊厳もない、ボロ雑巾みたいな退場をするしかなくなるから。

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