経済循環装置としての敵キャラクタ
ヘッダ画像をお借りしています。
ぼくはいわゆるゲームや漫画や映画みたいな造られた物語とかの「敵側」を客側に提示された額面および文脈のまま、嫌いになることが多いです。
近いところではおにめつ(鬼滅の刃)の敵についてそのような思いを述べていました。
なんの合理的理由がなく人間を死に至らしめている。退治されて当然じゃないか。
敵が嫌い
敵側を好きになるみたいな文化って非常に多いと思いますが、なんかストックホルム症候群みたいで嬉しいことじゃないように思えた。
もちろん文化として絶やすべきではないと思います。ヴェノムの可愛い漫画とか好きです。ヴェノムが敵かどうかをおいておいて……
実は敵側がすごく生活感ある暮らしをしていて、人間みたいな文化で事物に興味を持って一喜一憂して、、みたいなギャップで顧客の興味を引きつけるみたいなスピンオフ・2次的な文化はまっとうな経済ですよね。
なんなら最初からスピンオフ用の漫画書きさんを確保して、新しい連載に踏み切ることだってあるでしょう。片方で人気が出たらもう片方(元かスピンオフか)にも客(読者)が流れる。片方の漫画しか買っていなかった客がもう片方に手を出す。絵に書いたようなきれいなアップセルとかクロスセルの構図がみえるんじゃないでしょうか。
だから敵側を魅力的に描写することはもはや必須であるともいえるんじゃないかと思わされる。かっこいい敵がいない漫画やお話なんて持ち込まれても困るよ、と出版社は考えてたりするんじゃないか。
オンゲの敵
オンラインゲームでも同じことが言えると思ったため書いています。
オンラインゲームでは集客と集金のために少なくとも季節が変わるごとに限定イベント的なことをする。
限定的な期間しか寄越されない有用な武器とかがあるため、ユーザが必死になってゲームにログインする状況みたいのが理想図だと思います。
メーカー側にとってもそれは「貴様に言われなくてもわかっとる」レベルの集金チャンスなわけでして、、できうる限りの先行投資みたいなことをしまくってイベントを開催する。
先行投資により、合理的な理由でテコ入れができるわけです。いきなりこれまでにない絵柄(特に流行を取り入れた、新規イラストレータを採用した形でリリースされるとか)のキャラクタをゲーム内に登場させても違和感がない。やらない手はない。
いきなりゲーム内に知らないキャラクタが登場したら、ユーザは驚きますよね。なんだこりゃ~つってゲームの立ち絵みたいなものをSNSにばんばん貼り付ける様が想像されます。
するとどうなるでしょう。
またあした……今日もお疲れさまでした。
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