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結局は、やりたいことをやりたい

いろいろと、日々、様々な感情に出会う。
思ってもみないところを刺激されたり、言われて傷つく場所が実は自分が気にしていたことだったんだと気づくときもある。

普段の生活に紛れて、”普通”になっている概念がある。
それは、私の”普通”であって、他の誰かは”普通ではない”。

逆に、誰かの”普通”は、私にとっては未知の世界で、全然知らない世界に住んでいるんだなと、みてる世界は違うんだなと、感じることもある。


普通ってふつうじゃない。

普通って難しいね、自分の価値観の基準は自分だもの。多くの人の共感を得たいとか、共感したいとか思ったものだとしても、違っていては、反抗心を感じるし。

でもそれが正しいと、世間一般なセオリーなら、自分はそれとは違うところにいるんだなと思う。フラットな心持ちで。

事が起こる、起こすというのは、新たな価値観も生まれるし、考え方や価値観の幅が広がることもあるし、感情をゆさ振られる。

痛みを感じ、涙を流すほど何かに怯え、不安になり、焦り、行動する。そんな経験を通して、痛みを知り、自分の感情に気づき、方向を決めていけるのかもしれない。

そんな経験も悪くない。
最中を過ぎたから言えるのかもしれないけど。

どんな経験をするのも、楽しい。やってみたい、やってみようと思う気持ちは大切だ。それは、はじめの一歩だから。

成功とされている状況を掴めそうになくても、その経験を活かせないということはなくて、他の活かし方だっていっぱいある。

だから、普通ってそもそもないんだなと感じる。

ただ、これまで人生の中で、”普通”って便利な言葉だし、正しそうな気配するし、で使っているだけ。実態のない雰囲気的なもの。

「普通はこうするよね」
その普通は、誰の普通だろうか?

あなたの普通とわたしの普通は、違うのがふつう。
(ふつうって、便利な言葉。笑)


失敗は成功のもと。

失敗から学べることもいっぱいだ。痛いほどの感情も、たまにはいい。
いつか、振り返った時のために額に入れて飾っておこう、「偉大なる失敗」とタイトルをつけて(笑)

失敗したということは、成功のもとを手に入れたのだ。

世に出て、外に出て、ころんで、、、

それでも、人間て、起き上がる力を持ってる。

藁をも掴む思いでつかんだものに意味はある。やりたくないことに気づいたのも大きな収穫だったりする。人とは違う概念を持っていることに意味を見出すことだってある。

失敗した自分を否定するのも、肯定するのも、捉え方次第。どこにフォーカスを置くかの差。どこを強く感じるかの差。

モヤモヤと言葉にならない思いを抱えていたって、それが”ある”という存在をはっきりと形見せる。それは、きっといいことだね。

結局は、やりたいことしかできない(笑)

わがままだし、好き嫌い激しいし、感情は両極端だし。

言葉足らずは、いつものことで。物事を順序よく追ってわかりやすくという概念がないのかも。伝えたいことは、その出来事自体ではないから。

そこで感じる心であって、感情であって。

「これをやりました!」っていう事象じゃなくて、それによって何を学んだとか気持ちがどう変わったかとか、その心情、気づきなんだと思う。

その過程で、これこれこういう経緯で、というのもあったほうがわかりやすいとは思うんだけど(笑)そんなことはすっ飛ばして、自分の感情から入ってしまうから、わかりにくいんだろうな、、とか思う。


さて、今日も話が逸れまくりかもしれないけど、いろいろな出来事と感情を味わって見るのもいい経験だ。

それは、結局、シンプルな気持ちに気づかせてくれたりする。

結局、やりたいことがやりたいんだと。

少し深くなって、それでもやってみることの価値はあると思って。知らないことを知ってみたくなる。ちょっと苦手なこともやってみようと、素直になれたりもする。

やってみることは力になるんだね、と思う今日この頃。

傷つくのもこわいけど、失敗するのも痛いけど、そこは過渡期。渡っている最中なのだから、それもまた一興として俯瞰する自分がいる。






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