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エッセイ

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#ショートエッセイ

幸せなループ 新しい出会い

幸せなループ 新しい出会い

ルーク・ハワード、ユップ・ベヴィン
ここ最近、クラシカルクロスオーバーというジャンルの音楽にハマっている。
恥ずかしながら今に至るまで、こうした音楽のジャンルがあることを知らなかった。
ピアノの音色、弦楽器の優しい調べ、その一つ一つの音にゆっくりと深く沈んでゆく。

こうして文章を書くにしても、電車に乗る時も、車の運転中も、ただただ音が静かに包み込んでくれる。

ここにたどり着いた経緯は以下の通り

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何かと少し戦ってみようか

何かと少し戦ってみようか

なんかしらないけど戦ってたな…

ふと、そんなふうに思うのだ。
もうずいぶんと遠い昔の話だ。

まだまだ子供だったのだ。
そこには明確な敵など居なかった。
見えない何かに、徒手空拳でジタバタしてたといったところか。
まあそうはいっても、いつもイライラ、触れるものみな傷つけるナイフみたいに過ごしていた訳ではない。
ただ、さぞかし周りの大人は扱いづらかったことだろ。
ただただ、いつも漠然と世の中に半目

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フラミンゴの空

フラミンゴの空

フラミンゴ色の空だ。
車のヘッドライトがポツリポツリと点りはじめた頃、フラミンゴ色の空に真っ直ぐにのびる虹をみたのだ。

この美しさをどう伝えればいいだろう。

言葉でこの美しさを伝えられたら。
写真でこの美しさを伝えられたら。
まして譜面におこすことなど、そんなことは奇跡すらおきないだろう。

上手く伝えることなど出来ないのは承知の助だ。

だからなるべく大切な人と一緒に居よう。
伝えられないか

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大概のことはゆずる

大概のことはゆずる

「ゆずれない大切な何か」

そんなものが問われる事なんか、そうそう無い。

多くの場合、本当はゆずれる事ばかりだ。
だからあれこれ考えずにゆずってしまう。
頭は「ゆずりたくない」と一瞬ボヤくのだが、心で、「それホントにゆずれない事?」って問い直す。
そうしたら、「やっぱりゆずれないよ」ってことはそうそう無いと思っている。

だから、大概、ゆずる。

その方が、本当に大切なゆずれない何かを守りたい時

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明るくて、少しだけ寂しい

明るくて、少しだけ寂しい

北国の冬の夜は明るい。

皆が陽気という意味ではない。
光が明るいのだ。

それは、あたり一面を真白に覆った雪のせいだ。

流れる車のヘッドライトは、真白な道路に光のウェーブをつくり出し、テールランプはゆらゆらと路に揺れている。
信号の光、街の灯が、その白に眩しく反射し、街行く人々の服装がダーク系の色が多いのと対象的に、街はなんだか明るく華やぐ。
いつもの街、いつもの路がまるでステージの上みたいに

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お手軽センチメンタル

お手軽センチメンタル

この時期おれは、ちょっとしたセンチメンタルなジャーニーを密かに楽しんだりしている。
それというのも、お手軽な方法があるのだ。

センチメンタルジャーニーといっても、なにも雨の中を駆け出すような恋に破れたわけではない。

そう、ジャーニーといっても、つかの間のセンチメンタルタイムのことをそう呼んでいるのだ。
いや、タイムって何のことだ。

それは、ふとした瞬間の胸を締めつける甘酸っぱい一瞬のことだ。

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またきっと聴くだろう

またきっと聴くだろう

先日も書いように、この時期、無性にジャニス・ジョプリンを聴きたくなる。

夏の終わりを静かに見送る。
そんなジャニスの『サマータイム』は本当に心に沁みるのだ。

見送られる夏を思いながら、ぼんやりとと考える。
よく彼女の声を評して「魂の…」と表現されるが、生き急いだ彼女の魂は何を伝えたかったのだろう。
澄み渡る声とは程遠いハスキーボイス。
それでいて、誰よりも無垢な、時に、純粋が故の危うさすら感じ

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ジャニス・ジョプリン、そして晩夏

ジャニス・ジョプリン、そして晩夏

日に日に陽は傾き、黄色い日差しがかすれた葉に照りつける9月の初旬。
目に映る全てのもの、吹き抜ける風すらも、なんだか疲れ切ってしまっているように感じる。

そんな時、いつも無性に聴きたくなるのが「ジァニス・ジョプリン」だ。

どこか気怠さを帯びたハスキーな声が、夏の終わりにピッタリな気がするのだ。

今は日も暮れて、微かな風がレースのカーテンをフワリと揺らせている。
風呂上がりの隙だらけの格好で、

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