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ポリコレの正体 「多様性尊重」「言葉狩り」の先にあるものは/福田ますみ【読書ノート】

ポリティカル・コレクトネス(political correctness)/略称:PC、ポリコレ

政治的妥当性とも言われる。
社会の特定のグループのメンバーに不快感や不利益を与えないように意図された言語、政策、対策を表す言葉であり、人種・宗教・性別などの違いによる偏見・差別を含まない中立的な表現や用語を用いることを指す。

ポリコレの正体:福田ますみさんインタビュー(前半)

福田ますみさんがポリティカルコレクトネス(ポリコレ)について語るインタビューの前半。福田さんは、ジャーナリストとしての経歴やポリコレの現象についての洞察を共有しています。

福田さんのジャーナリズム経歴
福田さんは、ジャーナリストとしての経歴が長く、ロシアでの取材経験も豊富です。彼女はロシアでの事件や冤罪事件に関する本を執筆し、それが多くの読者に支持され、漫画化もされました。その経験が、彼女のポリコレに対する関心を高める一因となりました。

ポリコレの正体を解明するきっかけ
ポリコレ(ポリティカルコレクトネス)は、一部の人々によって強力に支持される一方で、知らない人々にとっては馴染みのない概念でした。福田さん自身も、この言葉に初めて出会った時には知識が限られていました。しかし、アメリカでの経験を通じて、ポリコレが日本にも徐々に浸透し、社会に影響を与えつつあることに気づきました。

ポリコレの急速な普及
ポリコレは、ジェンダー平等や差別撤廃を掲げる運動として発展しており、多くの人々に支持されています。しかし、その一方で、過度な言葉狩りや自己検閲の傾向もあり、意見の多様性に対する抑圧が懸念されています。福田さんは、ポリコレが知らぬ間に社会に浸透し、自由な意見表明を妨げる要因になっていることに警鐘を鳴らしています。

ポリコレへの関心と本の執筆
福田さんは、ポリコレに対する自身の関心が高まり、それをテーマにした本を執筆する決断をしました。彼女はこれまでに事実関係に基づいたジャーナリズムを追求してきたため、ポリコレに関する評論を書くことは新たな挑戦でしたが、その重要性を感じたためです。

ポリコレの普及とその影響
ポリコレは、日本にも急速に浸透し、多くの人々がその影響に気づいていないかもしれません。福田さんは、特に若い世代にとって、ポリコレに対する適切な議論が必要であると考えており、その議論の一環として本を執筆しました。

マスコミが追い詰める冤罪 - 福田ますみさんのインタビュー (後半)

マスコミの影響と冤罪:
福田さんは、マスコミが特定の物語を形成し、それが事実として広まることで、冤罪の問題が生じることを強調しています。彼女は、学校での虐待やいじめ事件が冤罪であることを示し、マスコミの報道が公正な判断を阻害していると指摘しています。このような報道は、社会に窮屈感をもたらし、多様性が抑圧されていると感じる人々に影響を与えています。

多様性と対応性の問題:
福田さんは「多様性」という言葉について議論し、その言葉がしばしば限られた範囲でしか許容されていないことを指摘しています。彼女は、多様性が言論の自由を制限し、差別や対応性の主張を武器にすることがあると述べています。この戦術は、社会に危機感を齎し、本来の目的から外れることもあると議論しています。

マスコミの役割:
福田さんは、マスコミが事件や問題を報道する際に、事実に基づいた報道ではなく、感情に訴える報道を行うことがあると指摘しています。例として、学校でのいじめ事件を取り上げ、教師を非難する記事を挙げています。しかし、その記事の事実性は疑わしいものであり、マスコミの報道が事件を歪曲する可能性があることを示唆しています。

結論:
福田さんは、マスコミが冤罪を広め、多様性の言葉を悪用し、感情に訴える報道を行うことについて警鐘を鳴らしています。彼女は公正で客観的な報道の重要性を強調し、読者や視聴者が情報を適切に評価できるようにする必要があると主張しています。



  • ポリティカル・コレクトネス=政治的正しさって誰が決めてるの?

  • 差別しようなんて思ったこともないけど、炎上が心配で何も言えない

  • トランスジェンダー大国のアメリカでは、代名詞ひとつ間違えるとクビ?

  • 「誰も逆らえない正義」を前に、企業も学校も自治体もビクビク怯えるだけ

  • 「それは差別だ!」と小さなことで怒る人ほど差別意識が強いみたい

  • ポリコレの病、今ならまだストップはかけられる

「これ言ったら差別だと思われないかな?」自分の言動が「政治的に正しい=ポリコレ」かどうかを気にして、職場でも学校でも息苦しさが増す毎日かと思います。「言葉狩り」や「マスク警察」などで、人々のつながりが分断されていく。差別反対で始めたはずなのに、気づけば新しい差別が……。そんな日本にならないでほしいとの願いで作った本です。
ポリコレ先進国・アメリカの悲惨な状況と、新差別を生むものの正体にも迫ります。
ポリティカル・コレクトネス(政治的正しさ=ポリコレ)という正義の名のもとに、新たな次元の支配システムが、アメリカを、そしてこの日本を蝕んでいる。
BLM(ブラック・ライブズ・マター/Black Lives Matter)
LGBTQ(エル・ジー・ビー・ティー・キュー/Lesbian Gay Bisexual Transgender Questioning)
……「人種差別やジェンダーによる差別をなくし、多様性を認めよ」
という掛け声のもと、「新しい正義」が謳われ、その正義の基準に沿わないものは、全メディア総出で、逃げ場なき集団リンチのごとく手酷く批判され、社会的に抹殺される。

キャンセル・カルチャーや批判的人種理論が幅を利かせるアメリカ。尻尾を振ってそこを追いかけようとする日本のメディアが、日本を誤った道に連れて行こうとしている。
森喜朗元首相たたきもそうだった。仮に失言はあったにせよ、異様なのは、その後の「全メディア挙げての集団リンチ、吊るし上げ」であり、反論さえ許さぬモンスター的人格攻撃だ。「差別をするな。多様性を認めよ」と叫びながら、その実「自分にとって都合の悪い多様性は一切認めようとせず」「新たな差別を創造する」流れは、今後さらに増加し、極端化し、過激になっていくと思われる。それでいいのか? 防ぐ方法はないのか?

多様性とは、自らと違った立場の意見を尊重し、相互に認め合うことのはずなのに、逆に「不寛容」ばかりが増し、企業も学校も社会も息が詰まっていく。
ポリコレ先進国・アメリカの悲惨さを見よ。非キリスト教徒に配慮するという大義名分のもと、すでに「メリークリスマス」という言葉は奪われ、性差別への配慮として、「お父さん」「お母さん」も公式の場では使えなくなってしまった。カリフォルニアでは、LGBTQに配慮するため、結婚式の際、「夫」とも「妻」とも言えないのだ。狂気だ。

日本は1日も早く先行するアメリカの過ちに気づき、本当の自由と平等を取り戻す努力を始めなければいけない。「機会の平等」でなく、「結果における平等」を保証することは、「新たな不平等を創造」するだけ。そこには絶望しかない。
今や、日本の学校では「あだ名」をつける事さえ、一律に禁止されようとしている。
「言葉狩り」や「#MeToo」、「マスク警察」や「ワクチン警察」、「お母さん食堂」へのいちゃもんなどに代表される動きが、今後さらにエスカレートし、モンスター化し、一方的なレッテル貼りをすることで、人々のつながりが分断され、冤罪事件を生んだり、暴力や殺人など、新しい深刻な差別を生む日も遠くないのでは、と不安を感じている人も多いように感じられる。

忠実で丹念な取材力を基本に、多くのノンフィクション作品で高い評価を得てきた著者が、「ポリコレ」という新たな敵の正体を見出し、追い詰めていく。現状のまま進めば、日本もジョージ・オーウェルの『1984年』のような全体主義管理社会というディストピアにどんどん近づいていく。
なんとかそれを阻止したいとの強い思いが本書を書かせた。


■まえがき:「北朝鮮は本当に狂っていた。でも、このアメリカほどではなかった」

■1章:ポリコレは、全体主義(ディストピア)への一里塚
「お母さん」とさえ呼べなくなる?――着々と進む、狂気の言葉狩り

・女子競技に元男性のトランスジェンダー女性が初めて参加した衝撃
・トランス女性の競技参加は、新しい「女性差別」でしかない

東京レインボープライド杉山文野氏:日本オリンピック委員会女性理事

・競技を男女別に分けて行ってこそ「公平性」が保てる
・異論や、一切の批判を許さない社会が理想とでも言うのか?
・「ジェンダー平等」が殺すのは「フェアプレイの精神」
・ますます進む言葉狩り
・アメリカでは、もう「メリークリスマス」と言ってはいけない?
・もうすぐ「お母さん」と呼べなくなる日が来る
・「he」と「she」を言い間違えるだけでクビになる米国教員
・カリフォルニア州では、結婚式の際に「夫」と「妻」とも言えない
・「事実」より「抗議者の気持ち」が最優先されるレイプ文化
・「全ての白人は人種差別主義者」と教える、アメリカ教育のバカげた実態
・トランプは、ポリコレのタブーを破った大統領
・ポリコレの起源は、やはりマルクス主義だった?
・米国覆う少数派保護自由の良さ奪う恐れ政治的公正と多文化主義
・ポリコレの不寛容性を批判していた「パパブッシュ」の先見性的
・調査で判明―ポリコレを肯定しているのは、「左翼活動家」だけ

米国のこの30年間における最も顕著な変化は、同性愛者や他の性的少数者をLGBTと総称するようになり、彼らへの差別撤廃と権利拡張、そして同性婚の完全合法化が進んだことであろう。先に引用した1993年の朝日新聞記事にも、「過去5年間に、全米の30近い大学で、同性愛者らの要求に応じて同性愛関係のカリキュラムを設ける動きが出ている」とあり、当時から現在につながる大きな変化が始まっていたことが報じられている。
米国ではいまや完全に性別の男女2元論が崩れ"多様な性"はなんと50種類以上もあるという。
「生物学的に性は男女の2種類しかいない」などと言おうものなら「LGBT差別だ」と罵倒され、それどころか、自分の子供が同性愛者だと知ったら、 これを歓迎しないといけない空気になっているそうなのだ。

これに関連して、幼児教育の現場での"LGBT早期教育"の押し付けも深刻な問題となっている。米国でいま盛んに行われているのは、幼稚園などに「ふれあいスペース」というのを設け、そこでトランスジェンダーの女性や男性が、園児たちに絵本を読み聞かせることである。
モーガン准教授(前出)の友人の子供が通っている幼稚園には、ウィスコンシン大学のジェンダー学部から大学院生がやって来て、「今日はみんなでパープルペンギンのゲームをしましょう」とにこやかに話しかける。

パープルペンギンとは紫色をしたペンギンのキャラクターだが、「このパープルペンギンは男でもないし女でもない。このペンギンさんのように、あなたたちも自分を男の子だと思っていても、女の子かもしれないよ」と、そして女の子には逆のことを言うのである。まだ年端もゆかない幼稚園児に対してだ。

「友人の子供は幼稚園から泣きながら帰って来て、『私は女の子だと思っていたけど、男の子になっちゃうの?』と頭が混乱し、怯えて泣いていたそうです。このような偏った教育が普通に行われているのですが、これに反対すると、かなり強い批判を受けてしまいます。私から見ると、幼児虐待に等しい行為です」
モーガン氏はそう語る。

トランスジェンダーに関しては、冒頭の女子スポーツへの参加の是非とともに、女子トイレの使用の可否が大問題になっている。
トランスジェンダーたちは、米国のどこであろうと自分が選んだ性別に合う公衆トイレを利用する権利」を主張し、この権利が与えられなければ、それは差別であると言い張っている。

こうした彼らの主張を全面的に汲む形で、バイデン大統領は2021年1月3日の就任初日に、LGBTに関する大統領令を出した。職場や学校、医療、住居など幅広い分野でLGBTに対する差別禁止を徹底させる内容だったが、特に注目を集めたのが次の一文だ。

「子供たちがトイレ、更衣室の使用や学校スポーツへの参加を拒否されるのを恐れることなく学べるようにするべきだ」

ここで言う子供たちとは、明確にトランスジェンダーの生徒たちを指す。生物学的には男性でも、自らの性自認や女性と称する生徒たちには、女子トイレ、更衣室の使用や女子スポーツへの参加を権利として認めていくというのである。

ひと昔前なら、「そんなバカなことが……」と一笑に付されたことが、どんどん現実になっている。文字どおり、従来の常識が一転、「差別だ」、「偏見だ」、「蔑視だ」として糾弾される社会が到来しているのである。果たしてこれが、人類社会にとってより良い選択なのか? 進歩、前進と言えるのだろうか。

実は、ポリコレが米国を、本音を言えない息苦しい社会に変えてしまったと感じているのは、保守派ばかりではない。
2018年9月までに、「モア・イン・コモン」という国際グループが、米国内の8000人を対象にポリコレについて行った調査を発表しているが、実に80%が、ポリコレは問題だと回答している。白人、黒人、ヒスパニック、アジア系など、人種、民族別に見ても、回答内容に大差はなかった。

そもそもは、マイノリティへの差別や偏見を取り除くことがポリコレの目的だったはず
だが、当のマイノリティ自身もポリコレを疑問視しているのである。
調査に答えたリベラル派の5歳の女性はこう語っている。
「現在のポリコレが行き過ぎであることは間違いないと思う。すべての人が些細なことで不快感を抱くところまできてしまった」
ニューヨーク在住の3歳男性はこう言う。
「私は、ポリコレの定義は『嘘をつくこと』だと思っている。本音を言わないことは、実際にはすべての人を傷つける」
ポリコレの特徴として、表面的な言葉の言い替えに終始することで、むしろ本質的な問題を覆い隠してしまう欠点がある。つまりポリコレは、本音を隠して偽善的にふるまうことを強いるのだ。

しかし、ポリコレの弊害を問題視する声がこれだけ多いにもかかわらず、なぜそれが是正されないのか?
注目したいのは、この調査が、回答者を思想信条で7つのグループに分け、その結果を分析していることである。それによると、ポリコレを肯定的に捉えていたのは、「進歩的活動家」、つまり左翼活動家だけであることがわかった。

結局、一部の左翼活動家だけがポリコレを押しつけ、多くの国民はそれに不満を持っているが、マイノリティの擁護や差別の解消という、それこそ「名目上の政治的正しさ」には抗えず、仕方なく従っているというのが実情なのではないか。

・蘇る新左翼の神―「フランクフルト学派」が現代ポリコレの源流だった
・アメリカ人の心から「キリスト教」を追い出せ!

■2章:日本のポリコレは、「反日・日本人」養成所
正義なきメディアが「内心の自由」に踏み込み、断罪する恐ろしさ

・正義なきメディアが「内心の自由」に踏み込み、断罪する恐ろしさ
・事実を歪めた「切り取り報道」から始まった「森辞めろ!」の大合唱
・海外報道の「お墨つき」を得て、一斉攻撃開始
《森喜朗叩きは言葉狩り、多様性尊重派は自己矛盾に気づいているか》
・キャンセル・カルチャーと不寛容
・「他人の内心」にまで踏み込み、断罪する恐ろしさ
・「女性差別社会」の幸福な女たち
・弱き者、汝の名は「おっさん」なり
・女だって、なかなか変われない

■3章:BLM(ブラック・ライブズ・マター)の不都合な真実
蘇る「新左翼」——「平和な顔をした暴力革命運動」に騙されるな!

・ジョージ・フロイドが「革命のための生贄」になった日
・BLMの掛け声のもと、全米主要都市で暴動・略奪・放火事件に発展
・「富の再分配だ」と暴動・略奪を正当化し、狂喜するBLMの徒たち
・警察と駅を廃止せよ!
・略奪無罪=造反有理の狂気—「毛沢東思想(マオイズム)」への強い傾倒
・BLM暴動に襲われたケノーシャを訪れた山中泉氏が見た悲しい真実
・全米一の圧力団体になったBLMは、もう誰にも批判できない
・BLM創設者たちの強烈な被害者意識団
・「制度的人種差別」は神話だった!
・警察が弱体化したミネアポリスでは、殺人件数が75%増
・「新左翼の父=マルクーゼ」直系のラディカリズムの系譜
・倒すべきターゲットは、白人、男、キリスト教徒、異性愛者
・アンジェラ・デイヴィス、マルクーゼに出会う
・「制度的人種差別」と「批判的人種理論」
・なぜ、アメリカの左翼は毛沢東が大好きなのか?
・現在のBLMの背後にいるのは、2つの毛沢東主義組織
・規制をして喜ぶのは誰か
・マルクス主義者である彼女たちにとっての「自由」とは

■4章:LGBTを“弱者ビジネス"にしようとする人々
当事者たちに訊く——「新潮45」廃刊事件再考

・LGBT――この5年で、その認知度はどう変わったのか
・日本社会は、もともとゲイやレズビアンを差別してこなかった
・いつからホモやオカマが差別語になったのか?
・政治は、生きづらさという主観を救えない――小川論文の波紋
・「LGBT法案」に賛成できない理由
・「新潮45」最後の編集長、若杉良作さんへ。
・「支援の度が過ぎる」というのは、朝日新聞に対する批判だった
・ゲイ当人は、自分を「差別を受け続けている弱者」と思っているのか?
・ポリコレは、「本当の自由」を何より恐れる
・抑圧すべき性衝動とは?

シスジェンダー(cisgender)」「ヘテロセクシャル(heterosexual)」なる言葉が、最近LGBT用語の1つとして急速に知られるようになってきた。ウィキペディアで調べると、「シスジェンダー」とは、「トランスジェンダー(transgender)」の対比で、生まれた時に割り当てられた性別と性同一性が一致し、それに従って生きる人のことを指す、とある。

「ヘテロセクシュアル」とは、同じくウィキペディアで調べると、異性に対して性的な感情を抱くセクシュアリティー、とある。要するに「シスジェンダーでヘテロセクシュアル」と言うのは、「男性として生まれて、恋愛対象としては女性を好きになる人」ないしは、「女性として生まれて、恋愛対象は男性」と言う人のことで、それ以外は全て性的少数者と言うことになる。その中には、いわゆるノーマルな性的マジョリティーには想像もできない、実に様々な性的嗜好が存在するのだ。

二次元のキャラクター、たとえばアニメや漫画しか性愛の対象と感じない人たちがいる。
これは性的指向だから、自分たちも性的マイノリティに加えてほしいという意見が出ている。しかし、LGBTの研究者は頑なに拒絶したそうだ。

一級市民として認知してほしいと願うLGBTから見れば、二次元キャラクターを恋愛対象とする人々は、「単なる趣味、性的嗜好だから」と、切り捨てられたのである。
「ペドフィリア」、「ズーフィリア」「ネクロフィリア」といった、犯罪スレスレの嗜好の人々もいる。
「ペドフィリア」とは「小児性愛者」、つまり、幼児や小児を対象にした性愛、性的嗜好のことである。
「ズーフィリア」とは、動物に性愛感情を抱くセクシュアリティで、感情だけなら問題はないが、獣姦行為となると国によって罪になることもあり、衛生上も問題になる。死体性愛者、屍姦症ともいわれる。
「抑圧すべき性衝動」とはまさに、こうした性的嗜好を指すのではないかと思われる。おぞましく感じるかもしれないが、いずれも性愛感情に止めておくかぎり、わが国では問題にはならない。
彼らにも人権があり、繰り返すが、「性的少数者」という大きな括りの中のれっきとした一員なのである。
ツイッター上では、これら3つの頭文字を取ってPZNと称し、「LGBTばかり権利を主張するのはおかしい。PZNも加えてLGBTPZNとすべきだ」と言う声がある。

これは、「LGBTばかり正義づらしてうざい」「あいつらPZNも加えたら発狂しそう」
といったコメントがあるように、数多ある性的少数者の中でLGBTだけを正統扱いし、よりアブノーマルな部分を持つ他の性的少数者を排除する現在の欺瞞的な運動への抗議、揶揄が込められている。つまり、自らの「性的マイノリティ性」は「被抑圧者」「被害者」として認知してもらい、保護も受けようとする傍ら、同じ人間が、もっとマイナーな指向の人に対しては、激しく拒否・断罪する歪んだ構図があるのだ。
性的少数者の問題とは、ことほどさように、人間のダークサイドとしての性的欲望を直視せざるをえず、決してきれいごとでは済まない。彼らをどこまで公的支援の対象にするのか、その線引きは、極めて難しいと言える。

■5章:【事例研究】LGBTイデオロギーとどう向き合うか?
3つのケースから学ぶ、ポリコレ推進活動家への対処法

・【ケース1】横大学法科大学院生、アウティング転落死事件
・「誰に相談することもできない」と追い詰められた果てに
・アウティング禁止条例の制定が、さらに当事者たちを苦しめる可能性も
・【ケース2】女子大に男子が入学する日――お茶の水女子大学の”英断”
・お茶の水女子大学への質問状
・【ケース3】春日部市議、不必要なパートナーシップ制度導入との闘い。
・「実際には存在しない差別」への優先対応を行政に求める活動家のやり口
・「家族もろとも殺してやる!」|井上市議のもとに次々届く卑劣な脅迫
・異論を認めないポリコレは、真の民主主義を圧殺する
・ポリコレは、ディストピアへの直行便


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