読書も創作も / 同族の記事はフォローしなくて良い説

こんにちは、匤成です。

この時期に発信するのは大変なこと

僕は詩歌が好きでコレクターを名乗っているけど、このところnoteでは活動していない。と言うのも、この大変な時期に詩情が湧かないからだ。厳密に言うと『詩というのは、詠嘆する、嘆き悲しむ』ことがメインになる。

今のこの時期を書くには、本来なら合っているはずだけど、僕のフォロワーさんの中には、僕が強い言葉を使うのは大体が、サポートが少し寂しかったり、期待したことが果たされなかっただけだと知っているかもしれない。

僕は政治的な発言はしない。それは言ってもしようがないことだし、詩歌と言う形で何かを発信しようと思ったら、政府や政治家を批判するような作品にしてしまいかねない。

Twitterを見てみればわかりやすいか。SNSを使う以上、政治に対して批判するような文言は、立件したり侮辱罪の証拠になってしまう。たとえ政治家の誰かが悪意を持って権力を振っていても、僕はそれを糾弾したりはしない。多くの文学家が感じていたように、文学は現実逃避には役立っても、このような時代に本当の助けにはならない。

語りたいことが少ない創作家

もともと創作は多い方ではないし、物語を完結させた事はほとんどない。小説ではなく短歌出身で登録していたからだし、どうしても描きたいという物語もない。図書館に行って調べたり、実際に体験して面白さや仕事の大変さを理解できないので、登場人物に感情移入して書けないのだ。

社会経験をほとんどしたことがなく、詳細というかディテールかよくわからない。

同族クリエイターはフォローしなくて良い

小説家は小説家、短歌や詩が好きな人はそれらを発信しているクリエイターをフォローするだろう。それが普通だ。だけど、“この本を読んだ”といっても「あっ、そうなんだね、ふーん」と思うだけかもしれない。

このことから言えるのは、畑違いな人の方がテーマとして興味をそそられる記事を書いている方が多い。新しいアイデアを得られそうだ。

どうだろう、同じようなテイストの記事に「ほうほう、これは上手い』と一つ一つの記事を改めて読めるだろうか? 僕はできない。そして発する記事も減っている。

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