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#コラム
少女は誰を待っていたのか?〜太宰治『待つ』について 第一回
以前、小説『待つ』についての感想を書いたのだが、ただノスタルジアに耽ったに過ぎない文章となっていた。少し残念であるとともに、どこか自分自身も腑に落ちないというのが、正直なところである。そこで、もう少し踏み込んで、この『待つ』という作品について考察してきたいと思うに至った。
この作品では、戦争が始まってから駅で“誰か”を待つ二十歳の娘の様子が描かれている。この“誰か”について、佐古純一郎は次のよ
自己を見失い、不安を抱えた者たち〜太宰治『待つ』について 第二回
小説『待つ』における“誰か”とは、佐古純一郎氏曰く“キリスト”であるという。また、他の評論家は各々の持論がある。私自身、それらについて何ら異存はない。答えはひとつとは限らない。いずれにせよ、真実を知る唯一の人は、もうこの世にはいないのだから。
だが、湧きあがる好奇心というものは抑えきれないもので、様々な考えを思い巡らせてしまうのである。他人はきっと、これを妄想と呼ぶのであろう。今回はその妄想を
待つ身が辛いかね、待たせる身が辛いかね〜太宰治『待つ』について 第三回
さて、前回までは作品『待つ』における“誰か”の正体について触れてみた。しかし、私としては、それが“誰か”ということよりも、“待つ”という行為そのものに強く興味を覚えるのだ。
私は“待つ”という行為について、或るエピソードとともに、太宰さんの印象的なセリフを思い馳せずにはいられない。
昭和11年の12月のことである。家にいると仕事ができないと言って太宰さんは、井伏氏の知り合いである小料理
走れ太宰治〜太宰治『待つ』について 第四回
前回のエピソードとセリフを聞く限り、太宰さんは随分ひどい男のように思える。実際に付き合いづらい人物であったのであろう。
しかし、何故だが彼の周りには常に人が集まってくるのだ。このエピソードにみられる数々の借金のほとんどは、その周りの人物によって支払われている。それほど魅力のある人物でもあったことが、ここに窺えるのである。
これより4年後、太宰さんは『走れメロス』を執筆する。このことについて、
信実とは決して妄想ではなかった〜太宰治『待つ』について 第五回
今回より『走れメロス』における“待つ”という行為について考察していきたい。
本作品の執筆における“重要な心情”の発端が、檀一雄氏との熱海行きにあったらしいということは、前回において触れている。
だとすれば、自ずと、次のような図式が成り立つかと思われる。
メロス≒太宰さん
セリヌンティウス≒檀氏
さらには、次のようにも考える事ができるのではないだろうか。
暴君ディオニ
待つ身には、希望が付き纏う。待たせる身には、絶望が付き纏う〜太宰治『待つ』について 第六回
さて、呑気に将棋を指しているところを、檀一雄氏に怒鳴りつけられた太宰さん。場が落ち着きを取り戻した頃になって呟かれた、あのセリフ。
「待つ身が辛いかね、待たせる身が辛いかね」
考えようによっては、確かに待たせる身も辛い。待たせているということに対する焦燥感。これは、あの時の太宰さん自身も感じていたことであるに違いない。
しかも、もしかしたら金を借りることができないかもしれないという不安感
撰ばれてあることの恍惚と不安と二つわれにあり〜太宰治『待つ』について 第七回
信じてさえいれば、“待つ”という行為には、希望だけが付き纏う。前回までで、“待つ”という行為に対して、そのような解釈をしてきた。では、小説『待つ』における少女の場合はどうであろうか。
私はぼんやりと座っています。誰か、ひとり、笑って私に声を掛ける。おお、こわい。ああ、困る。胸が、どきどきする。考えただけでも、背中に冷水をかけられたように、ぞっとして、息が詰まる。けれどもやっぱり誰かを待っ
3つのキーワード〜太宰治『待つ』について 第八回
“少女は誰を待っていたのか?”
はじめ、この命題に対する私の“主観的解釈”を“救い”であるとした。しかし、これでは佐古氏のいう“「人格」との邂逅”が説明できない。寧ろ、その“誰か”との出会いこそが、少女にとっての“救い”であるとした方がしっくりくる。
前回述べたように、少女は恍惚と不安を感じながらも、“誰か”を待っている。その“誰か”に撰ばれてあることに対して希望を抱いている。
ここでの不
生まれて、すみません〜『待つ』について 第九回
太宰治の罪の意識。それは“生まれて、すみません”(『二十世紀旗手』)という言葉に表わされるような、原罪意識ともいうべき意味合いを含んでいたかもしれない。
彼は実の母がいるにも関わらず、二歳の時から叔母に育てられ、四歳の頃からは女中の越野タケによって子守として世話される。そういった奇妙な母子関係の中で、次第にある妄想に取りつかれたとしても、それはなんら不思議なことではない。
私は子供の頃、
罪の意識〜太宰治『待つ』について 第十回
前回は太宰さん自身の“罪の意識”について少しだけ述べてみた。今回は本作『待つ』に立ち返り、少女が抱えた“罪の意識”について考察していきたい。
“戦争がはじまったにも関わらず、自分だけ家でぼんやりしていることに対する罪悪感”
これは私が第八回において、彼女が“誰か”を待つことに至った感情のひとつとして挙げたものである。これを前回に挙げた太宰さんが抱いた“罪の意識”と照らし合わせてみたい。
太
芸術の美は所詮、市民への奉仕である〜太宰治『待つ』について 第十一回
太宰治の“使命”。それはもちろん小説を書く事であった。そうすることが自らの“罪の意識”に対する“償いの気持ち”ではなかったかと私は考える。それは“奉仕”という言葉に置き換えられるのではないだろうか。
“奉仕”。言葉だけなら、何とも耳触りのよい言葉である。しかし、これを実践するとなると、かなり大変なことであろう。どうしても「やってやってる」という感情が芽生えはしないだろうか。
しかし自ら“罪”
使命と奉仕〜太宰治『待つ』について 第十二回
前回は太宰さんの“使命”について語ってきたが、今回は本作『待つ』における少女の“使命感”について考察していくこととする。
少女の“使命”。それは“身を粉にして働いて、直接に、お役に立ちたい”というものであった。“奉仕”という言葉にも置き換えられるであろう、その“使命感”ゆえに彼女は、“省線のその小さい駅”に“誰とも、わからぬ人を迎えに”行くのである。
それは心の安定を図る為に自ら背負った“罪
すべての肉親と離れた事が一ばん、つらかった〜太宰治『待つ』について 第十三回
太宰治の“喪失感”。今回は主に“分家除籍”に着目しながら論じていきたい。
太宰さんは昭和5年(1930)に最初の妻である初代さんとの結婚の際、その条件の一つとして、長兄・文治さんから“分家除籍”を言い渡される。現代おいては結婚して家を出れば“分家”となるのは当たり前のことのようにも思える。だが、どうやら、このことは意外に太宰さんにとっては重大なことであったようなのだ。
この点について、相馬正
少女の喪失〜太宰治「待つ」について 第十四回
前回は太宰さん自身の“喪失感”について論じたわけであるが、今回は本作『待つ』の少女における“喪失感”について考察していきたい。
私は、私の今までの生活に、自信を失ってしまったのです。~『待つ』より
戦争が始まり、それまでのような生活が送れなくなっていく当時の人々が抱えていたであろう喪失感が、ここに表されているかと思われる。「この先、一体どうなっていくのだろう?」という不安や焦燥