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走れ太宰治〜太宰治『待つ』について 第四回

 前回のエピソードとセリフを聞く限り、太宰さんは随分ひどい男のように思える。実際に付き合いづらい人物であったのであろう。
 しかし、何故だが彼の周りには常に人が集まってくるのだ。このエピソードにみられる数々の借金のほとんどは、その周りの人物によって支払われている。それほど魅力のある人物でもあったことが、ここに窺えるのである。
 これより4年後、太宰さんは『走れメロス』を執筆する。このことについて、檀氏は次のように語っている。

私は後日、「走れメロス」という太宰の傑れた作品を読んで、おそらく私達の熱海行きが、少なくもその重要な心情の発端になってはしないかと考えた。あれを読む度に、文学に携わるはしくれの身の幸福を思うのである。憤怒も、悔恨も汚辱も清められ、軟らかい香気がふわりと私の醜い心の周辺を被覆するならわしだ。
「待つ身が辛いかね。待たせる身が辛いかね」
と、太宰の声が、低く私の耳にいつまでも響いてくる。~檀一雄『小説 太宰治』より

 ここで、注目したいのはこのエピソードが、作品執筆における“重要な心情”の発端ではないかとしている点である。 
 さらに、そう考えることにより、檀氏は“かつての憤怒も、悔恨も、汚辱も清められる”というのだ。
 果たして、その“重要な心情”とは、何であろうか? もしかすると、それも太宰さんの持つ魅力の一片なのではないだろうか? 
 いずれにせよ、どうやら鍵は『走れメロス』にあると言えそうだ。もちろん“待つ”ことに関する、例のセリフの真意についてでもある

「待つ身が辛いかね。待たせる身が辛いかね」

引用・参考文献
檀一雄『小説 太宰治』
井伏鱒二『十年前頃』

#コラム #太宰治

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