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生まれて、すみません〜『待つ』について 第九回
太宰治の罪の意識。それは“生まれて、すみません”(『二十世紀旗手』)という言葉に表わされるような、原罪意識ともいうべき意味合いを含んでいたかもしれない。
彼は実の母がいるにも関わらず、二歳の時から叔母に育てられ、四歳の頃からは女中の越野タケによって子守として世話される。そういった奇妙な母子関係の中で、次第にある妄想に取りつかれたとしても、それはなんら不思議なことではない。
私は子供の頃、妙にひがんで、自分を父母のほんとうの子でないと思い込んでいた事があった。兄弟中で自分ひとりだけが、のけものにされているような気がしていた。容貌がまずかったので、一家のものから何かとかまわれ、それで次第にひがんだのかも知れない。蔵へはいって、いろいろ書きものを調べてみた事があった。何も発見出来なかった。むかしから私の家に出入している人たちに、こっそり聞いて廻ったこともある。その人たちは、大いに笑った。私がこの家で生れた日の事を、ちゃんと皆が知っていたのである。夕暮でした。あの、小間で生れたのでした。蚊帳の中で生れました。ひどく安産でした。すぐに生れました。鼻の大きいお子でした。色々の事を、はっきりと教えてくれるので、私も私の疑念を放棄せざるを得なかった。なんだか、がっかりした。自分の平凡な身の上が不満であった。〜『六月十九日』より
相馬正一氏は、上記または作品『無限奈落』からの引用を踏まえた上で、“不義の子の妄想”について次のように述べている。
志賀直哉が『暗夜行路』の執筆にあたって自身の出生にある忌まわしい妄想を設定したように、太宰が描く自画像の原質には、いつも「母以外の女から生まれた子」という原罪的意識が企らまれているのである。~相馬正一『若き日の太宰治』より
太宰さんの“罪の意識”については、多くの評論家たちにより議論が為されているところであるが、私はこの“不義の子の妄想”こそが、太宰さんが最初に抱いた“罪の意識”であると考えている。
子供の心理というものは、純粋なるがゆえに素直なもので、たとえ虐待を受けたとしても「自分が悪いから、殴られるのだ」などと思ってしまうものであるらしい。そう思い込むことで、心のバランスを取ろうとする自己防衛的な心理が働くといわれている。
まだ幼かった太宰さんにとって、自分を取り巻く奇妙な環境を理解することはできなかったと考えられる。無意識ながらも、彼は傷ついていたに違いない。
そこで、彼は“不義の子の妄想”を抱くことにより、心のバランスを図ろうとしたのではないだろうか。「だから、兄弟中で自分ひとりだけが、のけものにされているのだ」そう思い込むことで、自身の身の上を納得しようとしたのかもしれない。それはある意味、彼自身の“存在意義”を明らかにするものでもあったのであろう。
子供であった太宰さんが、どの程度まで意識していたかは分からない。しかし、たとえ“罪”を背負ったとしても、それで自分の“存在意義”が確かなものとなるなら、その方が楽であったのかもしれない。それは前述の「自分が悪いから、殴られるのだ」という虐待を受ける子供と同じように防衛的な心理であったと思われる。
もちろん、大人になる過程において、いくらでもその心理は緩和されていくこができたであろう。ところが、太宰さんはその過程において愚行を繰り返すことにより、自ら“罪の意識”を植え付けていくことになるのである。
いずれにせよ、“大人に植えつけられた罪の意識”、それこそが最初に抱いた、いや、抱かされた“罪の意識”の正体なのではないだろうか?
太宰さんの“罪の意識”については、今後も考察していきたい点ではあるが、今回はここまでとしておきたい。次回は小説『待つ』における少女が抱いた罪悪感。すなわち“罪の意識”について考察していくこととする。
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