ゆびおりかぞえる『光る君へ』
毎週毎週、『光る君へ』放送までの日数を指折数えている。あと4日!ぐらいから気になり始めて、2日前となる華金には待ちきれない気持ちで身悶えして、朝から家族に「あと2日だよ!!」と息巻く。その家族は『光る君へ』を見ていないのに、である。
実家では毎週日曜夜8時になれば大河ドラマを見ていたが、わたし自身はさほど興味がなく、大河に占有されて他のチャンネルを見られないから、仕方なく視界に入ってくる映像をぼんやり眺めるぐらいだった。古めかしい言葉遣いと教科書では習わない固有名詞がたくさん出てきて、セリフは何を言っているかよくわからなかったので、正直ストーリーは記憶に残っていない。オープニングの音楽をうっすら覚えているものはあるような気がする。
大人になってからは、実家の家族と話を合わせたい気持ちもあり、一応録画しておいて、ひまなときに消化するぐらいはしていたが、最初から最後まで熱中したものはなかった。後半になって面白さがわかってきて、『真田丸』『麒麟がくる』『鎌倉殿の13人』あたりは最後の方は毎週楽しみに見た。
平安時代を舞台とする『光る君へ』の前評判は、さほど期待がこもったものではなかったと思う。わたしがこれまで後半は熱中したいずれのドラマも男性主人公、武士の世界の話だったから、平安文学を書いた女性の生涯を描いたお話はしっとり静かに進んで、さほど興味を持てる展開もなく、後半になる頃には見ることのない録画を淡々と消していくことになるだろうと予想した。
大河ドラマの第一回は、毎年お正月気分を少し引きずったまま、居住まいを正してテレビの前に座る。今シーズン実った作物の出来を確かめるように、神妙な顔で待機する。始まった途端、番宣に出ていた大人の役者ではなく子役が出てくるので、ああそうだった、彼らが見れるのはもっと後だった、と期待が外れた気持ちになるのがお決まりのパターン。あ、でもオープニングはかっこいいね~と少し褒めてみたりもするが、そのドラマが面白そうかどうかは結局何ヶ月か見なければわからない。
しかし、今年のオープニングは予感させた。手が、その手はなんなのだ。美しい流線を描いてしなり、交わろうとするふたりの手はなんなのだ。吉高由里子のやわらかでふっくらと肉厚な手が、それより少し骨張った、しかしやわらかな柄本佑の手が触れ合うようで触れ合わない。あ、でも、触れ合っちゃった…!でも離れちゃった…?でもまた触れ合いそう…??
番宣にあった二人の関係性「ソウルメイト」の意味を、愛欲の可能性を全く排除して理解していたわたしは、正絹が流れるような音楽と映像に動揺した。歴史のことはよく知らないが、ネットで調べたところによれば、藤原道長は紫式部のパトロンのようなものであって、恋愛関係にあるものではないと書いていたじゃないか!男女の垣根を越えた友情との予想は的外れだった。
俄然興味が湧いたのである。子役回にも関わらず、強烈に興味を惹かれた。翌週は吉高由里子が出てきたが、それよりも2度目のオープニング映像を今度は興奮して見た。やっぱりその手の動きは紛れもなく、恋なのか愛なのか愛欲なのか愛憎なのか、ともかく愛全般のうちのなかの何かを表現していることは間違いなかった。
なぜ間違いなくお互いに想い合う人間同士の関係を「ソウルメイト」と表さなければいけないのか。その関係は公式ホームページの相関図の中では「特別な絆」とされている。安易な恋愛の言葉で関係性を示さないこと、この言葉選びには物語の核心が詰まっているのだと予感する。これは最後まで見届けたい。
では、物語の中で長い時間をかけて描かれるであろうその核心を、最後のときに、それを髄まで感じ取れるようわたしにできることは何なのか……。まず最低限やるべきことは、『源氏物語』を一読することでしょう。間違いないね。きっと今後大河の中でも出てきます、というかそれを紫式部が書くところがメインなんでしょうよ。
『源氏物語』なんて、わたしの中では国語便覧の中か歴史の教科書に出てくるいちワードでしかなかった。本当にこれまでは1ミリも興味がなかった。受験勉強をまともにやらなかったので、古文の授業のことを何も覚えていなくて、おそらく教科書の中で源氏物語からの一節が抜き出されていて、多分音読とかしていたはずなのに、記憶ゼロ。光源氏ってチャラいんでしょ、という誰かから聞いたような印象しかない。すっごく面白いかもしれないドラマを理解することができないかもしれないと思うと、さっきまで脳みそを騒ぎ立てていた血の気が引いた。
そんな時にインターネットに頼ると、X(旧Twitter)上では『光る君へ』のポテンシャルに興奮と布教を抑えられない平安文学クラスタがいた。『あさきゆめみし』っていうマンガが殿堂入りらしい。マンガなら行けそうなきがする~~~!!!また血は昇る。
ブックオフオンラインで在庫を調べる。ポツポツ在庫切れが出ていて全巻まとめて入手できそうにない。これは…出遅れている…と察した。『光る君へ』を楽しむならば『源氏物語』を予習(あるいは復習)しなければならないと悟った人々は瞬間で動き出していて、ブックオフの在庫を空にした。入荷通知を設定しても、数日音沙汰がない。
動き出しが遅かった以上、金で解決するしかない。Kindleで電子版全巻セットを購入。1万円超えだが、ここを逃せばわたしが『源氏物語』に触れることは一生はない、良い機会なんだ、と思い聞かせて清水の舞台から飛び降りました。
『あさきゆめみし』で平安時代の”結婚”のありかたをインプットした。現代とは全く違うので、最初はそれは光源氏チャラい、こいつ嫌い、と思ったが、読み進めていくうちに受容した。平安時代の女性の立場が現代と比較してどうこうとかいう話ではなく、この当時はこうだった、と冷静に見ることができるようになる。また、その枠組みの中で、人々の恋愛や結婚に対する苦悩がどのようであったかを知る。
他所の女のところに通うのは止められないが、そんなことをされたら嫉妬してしまうのは現代も共通。それでもどうやってその男を愛し続ける覚悟を持てるのか、また持てないのか、はなから持たないのか。
せっかく毎日図書館に通っているんだし、『あさきゆめみし』で基本知識はついた気がするし、関連しそうな本も読んでみた。『田辺聖子と読む蜻蛉日記』を読むことで、藤原道綱母が藤原兼家を慰めるときに言ったセリフ「道綱 道綱… 大丈夫 大丈夫。」で笑うことができた。道綱の出世が道綱母の大きな関心事だった。『更級日記(古典の旅5)』を読むことで、『光る君へ』の後の世代が、源氏物語に描かれた恋愛に憧れたことを知った。若い頃は源氏物語をはじめとする物語を読み過ぎた、仏門に励むべきだったと藤原孝標女がのちに後悔するぐらいに。
わたしの平安知識はまだまだ浅いが、X(旧Twitter)で熱いレビューを繰り広げてくださる先輩方のポストを見れば、大石静脚本は細かなところまで、平安時代の文化や風俗を踏まえて映像で語っているようだ。みなさんのレビューが溜まった放送翌日に、#光る君へ や #光る君絵 で検索するのもわたしの楽しみとなっている。でも、自分でも知識を蓄え、この映像表現はそういうことなのでは?!と視聴中リアルタイムで気づけるようになると、面白いだろうと思う。
『光る君へ』が始まって2ヶ月あまり、あと10ヶ月続きます。あと10ヶ月はわたしのなかで、期間限定で、平安時代について学ぶ気持ちがおこるでしょう。次はなにで勉強しようかな。
角田光代の『源氏物語』現代語訳は気になるけれど、文庫にして全8巻という読めたらプチ自慢できてしまうボリューム。ドラマ内では『伊勢物語』を踏まえた表現もたびたびあるらしい。聞いたことあるけど、それって誰の著作だったっけ。国語便覧の中でぴたりとも動かなかった人名や作品名が、いまは私の目の前で生き生きと踊っている。お手本のように、大河ドラマから世界が広がっていっている。