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2023年7月の記事一覧
電卓と電子書籍はなにが違うのか。
電子式卓上計算機、というのだそうだ。
電卓の正式名称である。そりゃあ発話する場面においても、新聞や雑誌に書く場面においても、いちいち電子式卓上計算機と行ったり書いたりは面倒くさい。電卓、と略したほうが都合がよい。
一方で電子書籍、ということばがある。
これについて人は、略すことなく電子書籍と呼ぶことが多い。出版業界の人にしても「電子の売上げが〜」とか「電子版の契約は〜」と言ったりするけれども
聴けばわかる、ほんとうに。
先月の上旬から律儀に、ジム通いを続けている。
いまのところ体重にも体脂肪率にも、さしたる変化はない。しかしながら週3回のジム通いを続けていけば、どこかでティッピング・ポイントを迎えるのだろう。身体や健康状態が、劇的に変化していくのだろう。そう期待を寄せながら、始業前にせっせとジム通いを続けている。
ジムにいるのはおよそ2時間。着替えやシャワーを除いた正味90分を、運動にあてている。トレーナーの
焼肉帰りのコンビニのように。
アパレルショップからのダイレクトメールが届く。
秋冬のコレクションが揃いました、的なことが書いてある。実際に新作コートやジャケットなどの写真が添えられている。しかしながらさすがに、この暑さのなか購買意欲は湧かない。クリックする気にも、なかなかなれない。見ているだけで暑いというか、それを着る自分がまるで想像できない。到着した商品を試着することさえ、想像できない。以前にも書いた、遠くのものを近くに引
関わってくれたみんなが誇りを持てるように。
きのう『さみしい夜にはペンを持て』に重版がかかりました。
発売から一週間を待たずの三刷。累計二万部。ただでさえ多くない髪の毛がぽろぽろ抜け落ちそうだった発売前の不安も吹き飛び、おかげさまでとてもうれしい一週間を過ごすことができています。手に取ってくださったみなさま、話題に上げてくださったみなさま、推薦コメントを寄せてくださったみなさま、推してくださった書店員のみなさま、ほんとうにありがとうござい
右ポケットの100円硬貨。
右ポケットに100円硬貨をしのばせるのが、彼のならわしだった。
いまどき100円では、缶コーヒーの1本さえ買えやしない。それでなにかを買ったためしもない。それでも彼はポケットに硬貨をしのばせ、人前に出るときには決まって一度手を突っ込み、それが変わらずここにあることを確認して気を落ち着かせるのだった。
「議員、またポケットに手を入れてますね」
遊説先での写真を整理していた秘書が、彼の悪癖を指摘
知りたいことと知らんでいいことの境界線。
ツイッターには「トレンド」という機能がある。
いまツイッター内で話題になっていることばをピックアップし、ランク付けして表示する機能だ。とくにブラウザ版のツイッターを開くと、右端にそのときのトレンドが紹介されている。
「いったいこれはなんだろう?」「なにが起こっているのだろう?」。表示された不穏なトレンドワードをクリックしても、なんだかよくわからない。さかのぼって読み込んでいけば「そういうことか
プロフィールを書こうとしたら。
プロフィール、を書いてみようと思う。
『さみしい夜にはペンを持て』が発売されて以降、さまざまにエゴサーチを試みているのだけれども、どうやらぼくは「名前の読み方がわからない」と思われ、「どんなやつだか知りたい」とウィキペディアで調べられたりしているらしい。しかしウィキペディアに書いていただくほど華々しい経歴もなく、自分でここにプロフィールを書いてみたい。
1973年の8月、福岡県福岡市でぼくは生
想像力とはなにか、について考える。
想像力とはなにか。
それは「遠くにあるものを近くに感じるための能力」である。たとえば健康な若者にとっての老いや病は、自分からうんと遠いところにある話だ。ましてや死など、遠いどころの話ではない。自分にも自分の大切な誰かにも、そんなことは永遠に訪れないかのように生きている。一方、老人にとっての老いや病は、いかにも身近な話題だ。老いは確実にやってきているし、なんらかの疾病を抱えていることも多いだろう。
『さみしい夜にはペンを持て』、本日発売です。
「なんとか夏休みに間に合わせましょう!」
このスケジュールはもう無理じゃないか、後ろ倒しにしたほうがいいんじゃないか、と思いかける自分たちを励ますように、編集の谷さんと何度となくかけ合ったことばだ。夏休みに間に合わせる。それは販売戦略上のかけ声ではなく「だってこの本は中学生に読んでほしいのだから」という自分たちの原点を確認するための合言葉だった。
早いところではもう、店頭に並びはじめているよう
来週のいまごろにはもう。
ぼくが子どものころ、週刊少年ジャンプは火曜日発売だった。
ところが国鉄(!)のキオスクに行くと、月曜日の夕方には買うことができた。いわゆる「早売り」というやつである。キオスクで買う月曜日のジャンプには、得意な気持ち半分と、なにかズルいことをしているようなうしろめたさ半分の、複雑な思いがついてまわった。だから、よほど気になってしょうがない週以外は、つとめて火曜に買うようにしていた。
そもそも本と
そしてわたしは摂生へ。
この半年ほど、腕時計を付けることが習慣となった。
いまでも週に2回ほど付け忘れる日があるのだが、その日はなんとなく手首がさみしい。あるべきものがそこにない不安、着るべき服を着ていないような心細さが、どこかある。
だれもがスマートフォンを携帯する現在において、腕時計はその人の価値観がわかりやすくあらわれるアイテムとなっている。その価値観はおおよそ、次の4パターンに分けられるだろう。
① 腕時計
インタビューとおしゃべりの関係。
先日、とある媒体で対談形式の取材を受けた。
詳しくはまた掲載のタイミングで紹介できると思うけども、とても気持ちのいい時間を過ごすことができた。対談相手の方は柔和で、紳士的で、けれども芯が強く、いまの時代を象徴するような「人としてのまっとうさ」を持った方だった。そしてまた、対談の現場を進行し、インタビューするライターさんがとてもよかった。その場でもう「この人が書いてくれるのなら、いい原稿になるだろ
みずからの師として誰を選ぶのか。
週末、幡野広志さんの写真ワークショップに参加した。
ワークショップに冠せられた名前は、「いい写真は誰でも撮れる」。そんなわけはないだろう、と思わずにはいられないタイトルである。だっておれ、相当に写真センスないぞ、と。朝から浅草の会場(梅と星)に出かけ、最前列で話を聞いた。
ワークショップの内容としては、おおきく「座学」「実習」「講評と実演」の3パート。開始1分から、でたらめにおもしろい時間が過