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『さみしい夜にはペンを持て』、本日発売です。

「なんとか夏休みに間に合わせましょう!」

このスケジュールはもう無理じゃないか、後ろ倒しにしたほうがいいんじゃないか、と思いかける自分たちを励ますように、編集の谷さんと何度となくかけ合ったことばだ。夏休みに間に合わせる。それは販売戦略上のかけ声ではなく「だってこの本は中学生に読んでほしいのだから」という自分たちの原点を確認するための合言葉だった。

早いところではもう、店頭に並びはじめているようだ。

間に合ってよかった、なんとか約束を果たせた。——と、誰と交わしたわけでもない約束を守りきれたような安堵に包まれている。


過去にも一度だけ、「なんとか夏休みに間に合わせましょう!」と言い合ってつくった本がある。瀧本哲史さんの『ミライの授業』だ。

この本の発売日は、2016年7月1日。夏休みに間に合ったからといって、それだけで中学生が読んでくれるわけではない。そして仮に読んでくれたとしても、全員の心になにかが残るわけではない。自分のメッセージを受け取ってくれるのは、ほんの一握りの読者に過ぎないだろう。だからこの本は、最低でも10万部は配らないと、当初の目的を達せられない。瀧本さんは事もなげにそう言ってのけ、実際この本は10万部を超えるロングセラーとなった。

じゃあ、瀧本さんが販売戦略ばかりに長けたビジネス作家だったかというとそれは大間違いで、『ミライの授業』プロジェクトにあたって彼は、1年間かけて全国の中学校をまわり、特別授業をおこなった。時間も労力もまったく厭わない真剣が、瀧本さんを支えていた。自らを投資家と位置づけていた瀧本さんにとって最大の投資は、教育だった。それを指して瀧本さんは「武器を配る」と言っていた。「書きたいことがある」のではなく、「届けたい人がいる」のが瀧本さんだった。


そんな瀧本さんのバトンを受け継いだからだろうか。

今回の本でぼくは、はじめて「届けたい人」を強く意識しながら書いたような気がする。マーケティング的な対象読者ではなく、「こういう中学生たちに届けたい」だけを考えて、本をつくってきた気がする。

だからこそ、夏休みに間に合わせるという(勝手な)約束を守れた自分が、ひたすらうれしいのだ。

またどこかで書いたり話したりするかもしれませんが、この本はぼくにとって、中学生向けの『嫌われる勇気』であり、自分なりの『ミライの授業』、その続編なのです。