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電卓と電子書籍はなにが違うのか。

電子式卓上計算機、というのだそうだ。

電卓の正式名称である。そりゃあ発話する場面においても、新聞や雑誌に書く場面においても、いちいち電子式卓上計算機と行ったり書いたりは面倒くさい。電卓、と略したほうが都合がよい。

一方で電子書籍、ということばがある。

これについて人は、略すことなく電子書籍と呼ぶことが多い。出版業界の人にしても「電子の売上げが〜」とか「電子版の契約は〜」と言ったりするけれども、電卓のように「電書」の略称を使う人はあまり見かけない。いまどき電子なんてことばが日常語として生きているのは、電子書籍と電子顕微鏡くらいではないかと想像する。

じゃあなぜ、電子書籍は「電書」にならなかったのか。

まずひとつに「伝書」との音かぶり、同音異義が挙げられる。「でんしょ」と声に出したとき多くの人は伝書鳩の伝書を思い出してしまい、混乱してしまう。さらに「伝書」には世阿弥伝書や利休伝書のような、秘伝の書、的な意味もあり、こちらも混乱の元だ。「でんしょ」の音はよろしくない。

さらに厄介なのが「書」の字だ。専門書とか入門書、といったように「書」には、それ一文字で「本」を想起させる響きがある。なので電書、と書いたときにも「電気に関する本なのかな?」「電撃的な内容の本なのかな?」というように、メディアやデバイスの総称としてではなく、本の中身のこととしてそれを推察する脳が、われわれには備わっている。

そしてなにより大きいのではないかと思うのが、「タク」の音である。木村拓哉さんのことキムタクと呼んだり、(YKKのひとり)山崎拓氏のことをヤマタクと呼んだりするように、「タク」の音は略称の末尾にとてもふさわしい。ところが電書の「ショ」はいまいち収まりが悪く、「略したい!」と思わせてくれない。これも案外、大きいのではないか。

ちなみに英語圏において電子書籍は、eBookと呼ぶことが一般的である。なるほどわかりやすいし、いかにも日本人が好きそうな新語なれど、森喜朗氏が掲げた「e-Japan戦略」に代表されるように、90年代から2000年代の日本人はなんでもかんでも「eナントカ」と呼びたがる癖があって、eBookの語を普及させようと思ってもなかなか普及しないまま他に埋もれてしまっただろう。結果、質実剛健な「電子書籍」が残ったのだろう。


電子書籍が便利なのはわかるし、ぼくも人並み以上に使っているんだけど、今回の『さみしい夜にはペンを持て』は——印刷物としての——本のおもしろさがたっぷり詰まっていて、自分でも大好きなんですよねー。なんというか「本をつくったなー!」という感じがするし、きっと読者のみなさんにも「本を読んだなー!」と思ってもらえそうな気がするというか。