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つまみ食いの作法。

いまさらのようにわかった、読書のコツがある。

たとえば、そうだなあ。ウクライナ戦争についての知見を深めたいと思い、複数冊の関連書を購入したとしよう。「ロシアによるウクライナ侵攻はこうして起こった」的な本もあれば、「ウクライナとはこんな歴史を持つ国だ」的な本もあるし、「プーチンはこんな男だ」的な本だってある。ロシア革命からはじまる本も、クリミア戦争までさかのぼる本も、ロマノフ王朝の起こりにまでその起源を求める本もあるだろう。ひとつの事象を理解するには、いくつもの角度から眺めることが大事である。そもそも5冊や10冊の本を買わないと、おもしろい本にも巡り会えない。なのでここまでは正しい。

で、10冊なら10冊購入した本のうち、なんとなくの気分で1冊を選んで読みはじめる。すると、本の構成、著者の書きぶり、また情報量などがなんとなく、その日の気分に合わない。疲れていたり、眠たかったり、あるいは覚醒しまくっていたりで本の波長と合わず、別の本を読みたくなる。これは多くの人に起こりうることだろう。

じゃあ、ということで別のウクライナ関連本を手に取る。読む。しかしながらどうも、文字が文章として頭に入ってこない。そこでまた別のウクライナ関連本を手に取る。

……といったつまみ食いをくり返しているうちに、自分がなにを読んでいるのかわからなくなったり、当初持っていたはずの興味が損なわれたりする。あんなに読みたかったはずの、知りたかったはずのことが、急にどうでもいいことのように感じられる。

いったいなぜか。

それぞれの本に、「違うこと」が書いてあるからだ。最初に読んだAという本ではこう書いてあるのに、次に読んだBという本にはこう書いてある。Cという本ではまた違った論が展開され、Dの本に至ってはABCを全否定するような話が書いてある。

ただでさえ「知らない」から出発した無知なる自分に対して、さまざまの方向から「おれの意見」や「おれの見解」が提示され、なにがなんだかわからなくなり、けっきょくどれも嘘であるようにさえ感じられてくるのだ。

なので、つまみ食い的な併読をする際には、まったく違ったジャンルの本を読んでいくほうがいい。ウクライナ戦争関連の本を1冊、サイエンス系の本を1冊、ギャグ漫画を1冊、現代小説を1冊、古典文学を1冊、人文書を1冊、みたいな感じで。あるいはせいぜい、ウクライナ戦争、イラク戦争、ベトナム戦争、独ソ戦、みたいに分けてつまみ食いしていったり。

そうしてとりあえず(自分に合いそうな)ウクライナ本の1冊を読み通したあと、また別のウクライナ本を読む。じゃないと、よくわからないまま「もういいや」になってしまう。


読み通さないまま10冊をつまみ食いするよりも、ちゃんと1冊完食するほうがおもしろいと思うんですよね。それがいい本であればなおさら。