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2023年5月の記事一覧
きみらはあれを、なぜそう飲むのか。
どうでもいいことが気になる。
ハリウッド映画やNetflixドラマを観ていると、欧米人はウィスキーを氷なしで飲む。ショットグラス、あるいはロックグラスにぽとぽとと注いで、いかにもうまそうに、くいっと飲む。水やソーダで割るシーンはほとんど記憶になく、氷を入れることさえ稀だ。
ぼくはさほどウィスキーを愛好する人間ではないものの、ウィスキーのたのしみといえばやはり「つくる」ことではないかと思う。すな
あらまほしき先達たちに。
5回目の正直である。
これまでの人生においてぼくは、ジム、あるいはフィットネスクラブと名のつく場所に4度、通ったことがある。いちばん最初に通ったのは福岡の天神にあるフィットネスクラブだった。高校を卒業し、つまりはハードな部活動を引退し、「ただの人」に戻ってしまうことへの恐怖から、通いはじめた。でかいプールがうれしく、やたら泳いでばかりのジム通いだった。
次に通いはじめたのは上京からしばらく経っ
苦手に対するアクションは。
「苦手な食材などはございますか?」
レストランやお鮨屋さんで「おまかせ」的なコースを選んだときに問われることばである。幸いなことに、ぼくは苦手な食材がない。食物アレルギーもないし、積極的に嫌いな食材・料理もない。なので出された料理は、たいていおいしく食べることができる。それで得をしているところは、おおいにあると思う。
ところが、食から一歩離れるとぼくは、自分でもおどろくほどに「苦手」が多い。小
調べてから書かないと。
サラリーマン川柳、というコンクールがある。
そのときどきの世相を絡めながら、サラリーマンの悲哀を自嘲ぎみに詠んだ川柳だ。嘆きや哀しみの歌でありながらも、サラリーマン川柳の多くは深刻にならない。むしろ「なんだかんだで幸せ」な印象に落ち着く。それは彼らの悲哀が、川柳というユーモアとして、共感の文脈のなかで語られるからだろう。
なんて話とは別に、「サラリーマン」という日本語は、いまやサラリーマン川柳
もうちょっとだけ、太ももに力を込めて。
たとえば駅のホーム。あるいはそこへ通じる階段。
ふつうの歩速で歩いていて、なにげなくお年寄りを追い越す。こちらが急いでいるわけでもなく、向こうが慎重に歩いているわけでもなく、ただ歩速や歩幅の違いから追い越してしまう。「まったく遅いなあ」「電車、乗り遅れちゃうよ」。そんなことを思い、若いころは歩いていた。
それが、いつごろからか最近。気がつくと横を、若い人が追い越していく。大股で歩く兄ちゃんだけ
その失敗の背後にあるもの。
だれだって、失敗することはある。
テストで失敗したとか、面接で失敗したとか、仕事で失敗したとか、試合で失敗したとか、人間関係で失敗したとか、いろいろある。その人の能力は、あまり関係がない。多くの場合失敗は「できたはずのこと」や「できたかもしれないこと」をしくじったとき、その二文字が与えられる。たとえばぼくが大谷翔平選手の投じる100マイルの剛速球を三振したとして、それは失敗とは呼ばない。しくじっ
リズミカルは、エコノミカル。
『20歳の自分に受けさせたい文章講義』に重版がかかった。
息の長い本で、もう刊行から10年以上が経ち、今回で33刷になる。それだけのむかしだから正直、書いたころのことはあまり憶えていない。いい機会なので本日、パソコンに残っていた当時のメモを掘り起こした。
当時のメモに、「リズミカルはエコノミカルに通じる」との文言があった。たぶん、本のなかには入れなかった話だ。自分でもまだうまく言語化しきれてい
写真が苦手なわたしのお手本。
写真が苦手である。
写真を撮ることについては、もう完全に下手である。知識も技術もセンスも根気も、なにもかもが足りない。ここで「苦手」と書いているのは、写真を撮られることの話だ。被写体になることの話だ。
たまにインタビューを受けたときなど、フォトグラファーさんに「じゃあ、笑顔でお願いします」なんて決めショットを求められることがある。これなどはほとんど拷問に近いリクエストで、笑顔を意識すればするほ
ないものをねだらず、あるものを極める。
宗教上の理由から、牛や豚を食べない人たちがいる。
そうした禁忌のない国に育った身としては、つい「もったいないなあ」とか「かわいそうになあ」とか思ってしまう。しかし、たとえば豚を不浄なものと考える人たちにとっては、よろこんでとんかつをむさぼり食うぼくらのほうが「かわいそう」の対象なのかもしれない。
というのも日本では長く、牛や豚を食べてこなかった。そして明治期に入ってから、海軍で英国式の食事を出
やめておけ、と言われても。
先日、ある民放BSの報道番組に「元傭兵」の人が出演していた。
もともと自衛官だったという彼は、アフガニスタン、ミャンマー、ボスニアの戦地に赴いたのだそうだ。傭兵になった経緯、最初に送られた戦地、そこでの戦闘体験、傭兵としての報酬、PTSDなどについてかなり詳しく訊いたのち、キャスターの方はこう言った。
「正直わたしは、いま非常な緊張感をもって話をしている。この番組を観た人のうち、『おれも傭兵に
その秘密に「青汁」を代入すると。
「だったら、お前が買えばいいじゃん」
うさんくさい儲け話、金融商品を提示して「これを買えば儲かりますよ」と売りつけてくる営業野郎には、多くの人がそう直感する。そんなに儲かるんだったら、お前が買えよ。ほんとに儲かるんだったら、おれに教えるなよ。これはとても大切な落ち着きである。
しかし話題がお金から離れると、とくに「こころ」の問題になってくると、すこしだけ話がややこしくなる。
たとえば効果の疑
もしもことばがマンガであれば。
マンガっていいよなあ、と思う。
Twitterのタイムラインにときどき、四コマから数ページくらいのマンガ作品が流れてくる。プロの方がさらさらっと描いたものもあれば、一般の方が趣味の延長として投稿しているものもある。おおざっぱな話として言うなら、どれもいい。Twitterでいちばん好きなのはマンガの投稿だ。
なぜいいかというと、そこに「手間」がかけられているからである。
たとえ iPadでさら
違ったルールで生きている。
ドラえもんは、どら焼きを食べる。
一緒にいるのび太も、どら焼きを食べる。のび太は人間だ。食べたどら焼きは胃や腸で消化され、やがてトイレで排泄される。わざわざそのシーンが描かれることはないものの、人間であるかぎりそうしている。ひるがえって、ドラえもんはどうなのだろうか。見てると彼は、けっこうな量のどら焼きを食している。そして彼に、排泄の機能があるとは考えにくい。いったいドラえもんの体内におさまった
そしてわたしが見る夢は。
オフィスの観葉植物が枯れる夢を見た。
なんら夢らしい不条理のない、まるで現実の延長としか思えない、しかも大騒ぎするほどの事件性もない、退屈な夢だった。もちろんここで「植物を枯らしてしまう夢」など検索すれば、もっともらしい夢診断の結果がヒットしたりするのだろう。しかしながら、ぼくは知っている。これはそんな大層な深層心理のあらわれなどではなく、ただの夢だ。記憶の錯乱だ。
十数年前、ビジネス書の世界