見出し画像

やめておけ、と言われても。

先日、ある民放BSの報道番組に「元傭兵」の人が出演していた。

もともと自衛官だったという彼は、アフガニスタン、ミャンマー、ボスニアの戦地に赴いたのだそうだ。傭兵になった経緯、最初に送られた戦地、そこでの戦闘体験、傭兵としての報酬、PTSDなどについてかなり詳しく訊いたのち、キャスターの方はこう言った。

「正直わたしは、いま非常な緊張感をもって話をしている。この番組を観た人のうち、『おれも傭兵になろう』と思う視聴者が出てこないか、そうした場合、報道する側の責任はどうなるのか、大変な懸念をもっている。そこで聞きたいのだが、あなたはこれまで『自分も傭兵になりたい』と言ってくる人に会ったことはありますか?」

「あります」

「どう答えるのですか?」

「やめておけ、と言います」

「自分が傭兵でありながらなぜ?」

「やめておけ、と言われてやめるようなヤツだったら、傭兵になんかなれないからです」

元傭兵の彼は、そう即答した。


前にも書いた話だけれども、ぼくが会社を起こすとき、何人もの方から「やめておけ」と言われた。お前には無理だ、ひとりでやったほうがいい、苦労しか待ってない、儲かる道がまったく見えない。そんなことを言われた。

それは思いのほか傷つく話でもあり、おれはぜったいにそんなことはしないぞ、と誓った。将来、誰かから起業の相談をされたとき「やめておけ」とは言わないぞ、と誓った。たとえそのプランがうまくいくと思えなくても、まずは黙って応援しよう、と決めた。それが「決めた人」に対する礼儀だと思ったし、実際にそうしてきた。

けれどもその元傭兵さんの話を聞いて、「やめておけ」もアリなのかな、と思いはじめている。少なくともぼくの場合、「やめておけ」と言われたことへの反発心が、ここまで自分を駆り立てた部分はたしかにある。あれがそういうタイプの応援だったとは思わないものの、結果として応援されていたのかもしれない。

周囲から「やめておけ」と言われても、やりたいこと。

実際にやってしまったこと。

ふり返って「やってよかったなあ」と思える仕事は案外、そのパターンが多い気がする。