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リズミカルは、エコノミカル。

『20歳の自分に受けさせたい文章講義』に重版がかかった。

息の長い本で、もう刊行から10年以上が経ち、今回で33刷になる。それだけのむかしだから正直、書いたころのことはあまり憶えていない。いい機会なので本日、パソコンに残っていた当時のメモを掘り起こした。

この10年あまりのあいだに帯は3回、変更された
あとがきに記された日付は2011年12月

当時のメモに、「リズミカルはエコノミカルに通じる」との文言があった。たぶん、本のなかには入れなかった話だ。自分でもまだうまく言語化しきれていないことばだったのだろう。

世のなかには、むずかしい本がたくさんある。そこでのむずかしさは「書かれている内容」のむずかしさというよりも、「書きかた」のむずかしさだったりする。もっと言えば「書きかた」の未熟さが、その本(の印象)をむずかしいものにしている。これは当時から変わらない、ぼくの考えだ。

じゃあ、どんな「書きかた」を心懸ければいいのか。平易なことばを使うのか。身近なたとえ話を入れるのか。専門用語を避けるのか。

どれも大切だけれど、けっきょくは「リズムのよい文章をめざす」がぼくの答えだった。リズムさえよければ、むずかしい内容でもストレスなく読んでもらえる。その中身をどこまで理解してもらえるかは別として、読み通すことまではしてもらえる。気分よく読み通しさえすれば、なにかを感じてもらえるだろう。まずは、そこをめざそう。最低限、そこをめざそう。

そうした「読みやすさ=可読性」のことを、当時のぼくは「エコノミカル」と呼んだのだろう。読むにあたっての経済効率性、くらいの意味で。もちろん「リズミカルは、エコノミカル」という語呂のよさを優先して。

しかしながら「エコノミカル」を強調することは、「コスパ」に似た印象を与えかねず、コスパ嫌いなぼくはそれを語ることをあきらめたのだ、きっとおそらく間違いなく。

ちなみにこの本では「文体とはリズムである」と語り、リズムは論理展開によって決まると続け、さらには(書かれた文字列の)視覚的リズムにまで心を配るよう、アドバイスしている。『取材・執筆・推敲』では、その議論をさらに深めた。

リズムの正体を解き明かすことは、ぼくにずっとついてまわる宿題なのかもしれない。いい文章のなにがいいって、やっぱりリズムがいいんです。