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もしもことばがマンガであれば。

マンガっていいよなあ、と思う。

Twitterのタイムラインにときどき、四コマから数ページくらいのマンガ作品が流れてくる。プロの方がさらさらっと描いたものもあれば、一般の方が趣味の延長として投稿しているものもある。おおざっぱな話として言うなら、どれもいい。Twitterでいちばん好きなのはマンガの投稿だ。

なぜいいかというと、そこに「手間」がかけられているからである。

たとえ iPadでさらさらっと描いたものにせよ、なんとなくの構想があり、下描きがあり、ペン入れと仕上げの作業があり、ファイル保存と添付して投稿するプロセスがある。それだけの手間があるからこそ、Twitterマンガの多くは一時的な感情に流れず、だれかへの攻撃的リプライ(リアクション)になりにくく、ちゃんと「わたしの表現」としてタイムラインの海を泳ぐ。

それにくらべると文字は、ことばの投稿は、いかにも手間が少ない。なので感情的、脊髄反射的な投稿が多くなり、読んでてとても疲れてしまう。

だからもし、Twitterがマンガによる投稿しか受け付けていなかったら、それが唯一のコミュニケーション手段だったら、もっと落ち着いた場所になるんじゃないかと思うのだ。「描ける人しか描かない」というほどよい参入障壁も含めて。

ぼくもときどき「どうして noteを有料化しないんですか?」と聞かれるんだけども、ここに書いているのは作品でも商品でもなく、コミュニケーションの道具なんですよね。たぶん、Twitter上で無料のマンガを投稿している人たちも同じ気持ちじゃないのかなあ。