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あらまほしき先達たちに。

5回目の正直である。

これまでの人生においてぼくは、ジム、あるいはフィットネスクラブと名のつく場所に4度、通ったことがある。いちばん最初に通ったのは福岡の天神にあるフィットネスクラブだった。高校を卒業し、つまりはハードな部活動を引退し、「ただの人」に戻ってしまうことへの恐怖から、通いはじめた。でかいプールがうれしく、やたら泳いでばかりのジム通いだった。

次に通いはじめたのは上京からしばらく経ったのち、20代の終わりごろだった。たぶん、いちばん熱心に通っていたのはこのときだったと思う。神楽坂にあるフィットネスクラブだ。30代を迎えることの恐怖、そして贅肉がつきはじめることへの恐怖から、通った。鍛え抜かれた筋肉を誇示するように、やたらぴちぴちのTシャツばかり着ていた気がする。

続いて引越に伴い、またオフィスの間借りに伴い、それぞれ通いはじめた。このときは身体を鍛えるというよりも「自宅やオフィスに近いフィットネスクラブに通うおれ」を求めての入会だった。「それくらい、心に余裕のあるおれ」というか、「働きかたを変えたおれ」というか、精神的ゆとりの象徴としてフィットネスクラブの門を叩いた。

しかしながら働きかたが変わるはずもなく、むしろ忙しくなる一方で、ジムに行く時間と体力などまるで確保できなかった。

そしていま、5回目の正直としてもう一度ジムに通おうと考えている。いまの仕事にメドがついたら、会社近くに見つけたジムで、入会手続きを行おうと思っている。

今度の目的はズバリ、健康の増進(からだの痩身を含む)だ。

はじめてフィットネスクラブに通いはじめたあの日から、はや30年あまり。5回目にして、もしかしたらいちばん切実な理由といえるのかもしれない。


ぼくは長く上司を持たないフリーランス稼業に身をやつしていたのだけど、それでも「あらまほしき先達」と呼べる方々は大勢いる。

たとえば作家さん。あるいはミュージシャン。若いころ存分に破滅的な、また刹那的な放蕩の日々を送ってこられたこれらの方々が、ある年齢を境にして酒や煙草を辞め、夜型の生活を朝型にあらため、ことによってはジョギングをはじめたり、その延長でマラソン大会にエントリーしたりする。そういう先達たちの「転向」は、若いころからたくさん目にしてきた。

これについてむかしは、よく理解できなかった。せいぜい「そういうたのしみ」を手に入れたんだろうな、くらいにしか思っていなかった。「若いころ本気で運動をしてなかった反動もあるだろうし」と。

しかしながら、である。

なんら統計のとれた話ではないものの、生活面での「転向」を果たした先達たちは、なんだかんだで現役を続けている。いい作品を、生み出し続けている。若いころと同じ生活を送っている——ように見える——人たちは、どこか現役でなくなっている。存在自体が、なんとなく過去形になっている。


どれだけ続くのかわからない。きっと数年後、十数年後、また6回目の正直だの7回目の正直だのといって、決意を新たにしているのだろう。

それでもまあ、なんとなくいまが「そのとき」だと思うのである。