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ないものをねだらず、あるものを極める。

宗教上の理由から、牛や豚を食べない人たちがいる。

そうした禁忌のない国に育った身としては、つい「もったいないなあ」とか「かわいそうになあ」とか思ってしまう。しかし、たとえば豚を不浄なものと考える人たちにとっては、よろこんでとんかつをむさぼり食うぼくらのほうが「かわいそう」の対象なのかもしれない。

というのも日本では長く、牛や豚を食べてこなかった。そして明治期に入ってから、海軍で英国式の食事を出すようになった。滋養と強壮のためにパンを与え、牛や豚の肉をつかった、シチュー的な食事を与えるようになった。ところがこの洋食、現場の水兵たちにはすこぶる評判が悪かったという。なかには「こんなもの食えるか!」とばかりに、船の上からパンを投げ捨てる水兵もいたそうだ。

いったいなぜか。

まず、パンを食い慣れず、牛や豚を食い慣れていなかった。とくに牛や豚の肉は不浄という以前に、脂分が重たいものに感じられ、なかなか受け入れてもらえなかったのだという。

さらにまた、水兵さんたちには「だまされた!」の気持ちがあった。彼らの多くは貧しい家の出身で、しかも次男坊や三男坊が中心で、みな「兵隊に行けば白いごはんを腹いっぱい食わせてもらえる」と聞き、軍隊に入った。なのに現場では、英国式だ滋養だ強壮だと言って、硬いパンを食わされ、脂っこいシチューを食わされた。あまりに不人気なパンに代わって、今度は麦飯が出された。

一方の陸軍では「白いごはんを腹いっぱい」の約束を守り、白いにぎり飯を与えていた。陸軍の兵隊さんたちは大いに満足していた。ところが白いにぎり飯ばかりを食っていた陸軍ではビタミンB不足による脚気が蔓延し、麦飯とシチューを食っていた海軍では脚気がそこまで広がらなかった。

……という有名な話の詳細を以前仕事で調べたとき、やはり興味深かったのはパンや畜肉の不人気ぶりであり、白いごはんの最強ぶりである。むかしの日本人は牛や豚のおいしさを「知らなかった」のではなく、「嫌い」だったのだ。そして牛や豚やパンより上位のものとして、つやつやの白いごはんがあったのだ。


ネパールでは宗教上の理由から、牛を食べない。代わりに、というわけではないだろうけども、ネパールで食べた鶏肉料理はめちゃくちゃにおいしかった。日本で食べるへんな牛肉よりもぜんぜんおいしく、なるほど食文化とはこんなふうに発展するのかと思った。ないものをねだらず、あるものを極めるのだと。

日本では、なんとなく値段の順に、鶏肉より豚肉、豚肉より牛肉、のほうがいいもののように扱われがちだ。けれどもそのランク付けに縛られてものを考えるのは大変に「もったいない」ことであり、「かわいそう」なことなんだと思う。

いやー、最近手羽先のおいしさに目覚めて、「手羽先っておいしいよね」と書きたかったんです。でも、「手羽先おいしいよね」だけじゃ文章にならないのでいろいろ書いてみたら、よくわからん話になりました。