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古賀史健

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古賀史健の note、2018年以降のぜんぶです。それ以前のものは、まとめ損ねました。
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2022年10月の記事一覧

「前橋 BOOK FES」が見せてくれたもの。

「前橋 BOOK FES」が見せてくれたもの。

もともと本来、こういうものだったんじゃないか。

こんなことってあるんだなあ。その賑わいに新鮮なカルチャーショックをおぼえてしまいました。これまで暗黙のうちに受け入れてきた常識が、気持ちよくひっくり返される二日間。10月29日と30日に群馬県前橋市で開催された、「前橋 BOOK FES」の話です。

子ども時代の絵本やマンガならいざしらず、本って基本的に「ひとり」で読むものだと思うんです。本に向き

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おのれの老い先を考えるよりも。

おのれの老い先を考えるよりも。

明日、前橋におじゃまする。

当初はこちらの「前橋 BOOK FES」に、ただのお客さんとしてふつうに参加するつもりだったのだけど、いや実際ふつうに参加するのだけど、もうひとつの予定が加わった。

前橋高校さんに出掛け、高校生のみなさんがたを前に「ほぼ日の學校・前橋分校」としてお話しすることになったのだ。

これまで講演やセミナー、トークショーにお呼ばれする機会はたびたびあったものの、高校生のみな

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その茫漠にぼくは触れたい。

その茫漠にぼくは触れたい。

言いたいことがあるぞー! 書きたいことがあるぞー!

そんなふうに荒ぶる日が、ぼくにだってある。けれども「言いたいこと」や「書きたいこと」をそのまま書くのは、よしておいたほうがいい。荒ぶりにまかせて書かれた文章は多くの場合、特定のだれかを狙い撃たんとする文章になる。そのターゲットをぼかして書いたとしても、やはり攻撃性を帯びた文章になり、読む者の心をいたずらにざわつかせる。場合によっては流れ弾が、意

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その挫折を書き換えるもの。

その挫折を書き換えるもの。

挫折について考える。

自分は挫折と呼べるほどのなにかを、経験したことがあるだろうか。ふと、そう考えた。失敗だったら、山ほどしてる。値札を付けて売り歩きたいほどにたくさん、毎年・毎月のように経験してる。挙げれば今月にだって、なにかしらの失敗はある。けれどもそれらはせいぜい失敗であって、挫折と呼ぶほどの重さを持っていない。挫折とはもっと、人生そのものが蹴り崩されるようななにかだ。

たとえば中学生の

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こまったときの、犬頼み。

こまったときの、犬頼み。

犬がすこし、冬支度をはじめている。

全身を覆う毛が、もこもこしはじめている。散歩以外のほとんどを温度管理のなされた室内で過ごしながら、犬は季節にあわせて毛並みを変える。お前の摂理は「外」にあるんだねえ、と思う。

書きたかったのは「寒くなってきましたね」の話だ。

けれど、ただここ数日の寒さを書いてもそれは「つぶやき」にしか過ぎず、犬の冬毛から話をはじめた。これはぼくにとって、キンモクセイ以上に

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お前、ぜんぜん若かったじゃん。

お前、ぜんぜん若かったじゃん。

少しだけ、甘酸っぱい気持ちで読んでいる。

「ほぼ日刊イトイ新聞」で連載中の「夢を笑う人なんか友達じゃないよ」。放送作家の鈴木おさむさんと、糸井重里さんの対談だ。

いまから20年ほど前、少しだけテレビのお仕事に関わったことがあった。当時のぼくよりも何歳か若いディレクターさんが仕切る、関東ローカルの深夜番組だ。ぼくが担当していた著者さんが準レギュラーのようなかたちで番組に出演し、収録のたびにぼくも

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書き続けることの意味。

書き続けることの意味。

わりと毎回、ぎりぎりなのである。

今年でもう8年だ。ぼくはここの note を、週日更新している。週日とはウィークデー、すなわち土日祝日以外の「平日」という意味だ。そしてきょうは金曜日。明日と明後日は書かなくていい。これだけ長く続けておきながらも、金曜日にはいつも思う。「明日は書かなくていいんだ」と。

よほどの事情がないかぎり、10年は続けてみようと思っている。そしてよほどの事情がないかぎり、

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タネと仕掛けがあるものを。

タネと仕掛けがあるものを。

「タネも仕掛けもございません」

ほんとにそんなことを言うマジシャンを、ぼくは見たことがない。いや、もしかしたら子どものころに見ていたゼンジー北京さんとかマギー司郎さんとかは、言っていたのかもしれない。そのおかげで広まったフレーズなのかもしれない。けれどもこのことばは特定のマジシャンが発するものではなく、概念としてのマジシャンが発するものとして、ぼくの意識に刻まれている。

で、マジシャンの語る「

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なさけない小市民の告白。

なさけない小市民の告白。

まったくゲスい男である。

先日ある人と話しているとき、やっぱりおれは小市民だなあ。大谷翔平選手の年俸に話題が及んだ。報道によると大谷選手、来季の年俸は43億円なのだそうだ。「正直、そんなにあっても困るよね」。ぼくは言った。

きっと大谷選手だってそれだけの金額がほしいと思ったわけではなく、代理人にすべてをまかせた結果、その数字に落ち着いたのだろう。そして代理人にしても、「1ドルでも多くせしめてや

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人生に必要な遠近両用めがね。

人生に必要な遠近両用めがね。

人生には、遠近両用めがねが必要だ。

ぼくのまわりには近視や乱視の人が多い。けれどもめがねをかけている人は少なく、つまりはみんなコンタクトレンズを装着している。過去数十年にわたって近視と無縁な人生を送ってきたぼくにとって、眼球にレンズをコンタクトさせるなんてのは、このうえない恐怖だ。

しかしながら近年、スマートフォンのせいなのかようやく近視が本格化し、めがねの常用を試みてはあきらめている。めがね

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採血の話と、文章の話。

採血の話と、文章の話。

■ 採血の話。今朝、健康診断の延長みたいな感じで、採血をしてもらった。気持ち的には「採血を採ってもらった」と言いたいところだけれど、それは「馬から落馬した」的な誤用になると思われる。ややむずむずするものの、「採血をしてもらった」と表記しておくことにする。

注射そのものが苦手なのではない。血を見てあたまがクラクラするようなこともない。むしろ真空の試験管(?)に血がびゅーびゅー吸い取られるさまを眺め

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忘れやすさと残りやすさ。

忘れやすさと残りやすさ。

忘れるなあ。ほんと、すぐ忘れちゃう。

なにか「いいこと」を思いつく。むつかしい図形問題がパタパタッと解けていくときのように、仕事上の「いいこと」につながる道筋やロジックを思いつく。おお、これでうまくいくぞ、と興奮する。よーし、明日さっそくこれを書いてみようと考える。

ところがなぜか、こういう「ちょっといいこと」や「ちょっとした突破口」はすぐに記憶から消えてしまう。きのうの夜、なーんかいいこと思

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「時間がほしい」の、その内容。

「時間がほしい」の、その内容。

時間が足りないと思うようになったのは、働きはじめてからのことだ。

たとえば中学生や高校生の時代、ぼくはまじめな受験生ではなかった。受験勉強というものに(きわめていい加減にしか)取り組まず、結果として時間はたくさんあった。部活動にも励んでいたけれど、「時間がほしい」と切実に願ったのは全国大会の1カ月ほど前におおきな怪我をしたときくらいで、あとは日々の練習をこなしつつも、はやく卒業したい気持ちをどこ

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愛は負けても、親切は勝つ。

愛は負けても、親切は勝つ。

愛は負けても、親切は勝つ。

カート・ヴォネガットがたびたびくり返してきたことばだ。しかしヴォネガットの語るところによると、これは彼自身のことばではない。彼のファンだという、ひとりの高校生が送ってきたことばなのだそうだ。

愛ということばについて、とくに自己愛ということばについて、考える。

自己愛が強い人、と聞いてどんな人を思い浮かべるだろうか。朝から晩まで鏡を見ては、ほれぼれしているナルシスト

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