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タネと仕掛けがあるものを。

「タネも仕掛けもございません」

ほんとにそんなことを言うマジシャンを、ぼくは見たことがない。いや、もしかしたら子どものころに見ていたゼンジー北京さんとかマギー司郎さんとかは、言っていたのかもしれない。そのおかげで広まったフレーズなのかもしれない。けれどもこのことばは特定のマジシャンが発するものではなく、概念としてのマジシャンが発するものとして、ぼくの意識に刻まれている。

で、マジシャンの語る「タネも仕掛けもございません」は、「わたしは嘘をついていますよ」とほぼ同義のことばである。タネや仕掛けがあるのだから成立するのがマジックで、そんなことくらいお客さんは百も承知だ。なのでこれは「その嘘に付き合ってくださいね」までも含んだフレーズと言える。

ときおりSNSで、マジックのネタばらしをする動画が流れてくる。「なるほど、こういう仕掛けがあったのか」と感心しつつも、少なくともぼくの場合、それでマジックの魅力が半減するようなことはない。むしろ「おもしろいなあ」「器用なもんだなあ」「おれもやってみたいなあ」と思わされる。

一方、超能力者を自称する人たちの超能力——たとえばスプーン曲げ——がネタばらしされると、けっこう興醒めする。その人のことを信用できなくなるし、なにかの番組で見かけてもチャンネルを変えてしまう。それは自称超能力者が「これは嘘ですよ」を共有してくれていなかったせいだろう。


アントニオ猪木さんが他界されて以降、ぼくのタイムラインにはたくさんのプロレス関連ツイートが流れてくるようになった。2000年代以降、プロレスというジャンルは元関係者たちによる告発という名の「ネタばらし」がずっと横行している。それでもぼくの興味関心があまり薄れていないのは、ぼくにとってのプロレスが超能力よりもマジックに近いものだったからなんだろう。ステージ上のマジシャンと同じく、プロレスラーは「お客さんの目」と真剣勝負をしていたのだ。試合にタネや仕掛けがあったにせよ、お客さんとの勝負はガチンコだったのだ。

まあ、ほんとのことを言うと2000年代以降のプロレスって、ほとんど観ていないんですけどね。サブスクや YouTube で昭和の時代のプロレスを観てると、やっぱりおもしろいんですよ。

川口浩の探検隊なんかもそうだけど、タネや仕掛けがあるに決まっているものを「タネも仕掛けもございません」という物語と一緒にたのしむって、けっこう高尚な娯楽だと思うんだよなあ。