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「前橋 BOOK FES」が見せてくれたもの。

もともと本来、こういうものだったんじゃないか。

こんなことってあるんだなあ。その賑わいに新鮮なカルチャーショックをおぼえてしまいました。これまで暗黙のうちに受け入れてきた常識が、気持ちよくひっくり返される二日間。10月29日と30日に群馬県前橋市で開催された、「前橋 BOOK FES」の話です。

子ども時代の絵本やマンガならいざしらず、本って基本的に「ひとり」で読むものだと思うんです。本に向き合っている時間、ぼくらはどうしようもなくひとりになる。映画やテレビや音楽みたいに、だれかと一緒にたのしむことができない。だから本はおもしろいんだし、静寂のなか書き手と一対一で向き合っているような感覚に襲われ、まるで自分のことが書かれているような気持ちになって、救われたりすることも多い。そういうものだと思うんです、本って。

ただ、その「ひとり性」のつよさゆえなのか、たとえば図書館なんかは典型だけど、ものすごく静かじゃないですか。本のある空間って。私語厳禁で、おしゃべりしてるやつなんかいたら、追い出されかねない。そしてそういう静寂を求める雰囲気って、本屋さんのなかにも多かれ少なかれあると思うんです。静かなところですよ、やっぱり本屋さんは。ぼくも静かななかで本を選びたいし。

ところが「前橋 BOOK FES」、みんなわいわいおしゃべりしながら本を選んでいるんです。友だち同士で「なにこれ『○○入門』だって!」とか「これなんか好きなんじゃない?」とか「あー。この本持ってたなあ」とか、駄菓子屋さんにきた子どものようにフリーダムなおしゃべりを交わしている。

しかも「買う」ものではないから、値踏みするような目で本と睨めっこするのではなく、ほんとフリーマーケットくらいの気軽さで本を眺め、手に取っている。本の価値というより「手に取ったときのおもしろさ」や「持ち帰ったときのおもしろさ」で選んでいく。

とくに印象的だったのは、60歳代くらいの女性ふたりが交わしていた会話です。ひとりの女性が「40年前のわたしは挫折しちゃったけど、いまだったら読めるかもしれない」とハードカバーの『源氏物語』を手に取り、お友だちが「そうよ! これからチャレンジよ!」と背中を押し、言われた女性が意気揚々とそのハードカバーを小脇に抱えていかれたんですよね。物質としての本だけではない、希望のようなものを手に取って。

なんか、すっごく美しいものを見た気持ちになって、「そうありたいもの」を見た気持ちになって、同時に「これは図書館や本屋さんでは生まれづらい物語だよなあ」と思ったのでした。

誤解してほしくないのは、図書館や本屋さんを悪く言っているのではないということ。本が「ひとり」のものであり、静かな空間のなか、本とだけ向き合ってじっくり選んでいきたい気持ちは変わりません。でも、それだけじゃない本の可能性を見せてもらえたんですよねー。

『嫌われる勇気』も発見。だれか持ち帰ってくれたかなあ


もうひとつ、余談のように付け加えておくとトークイベント会場に展示されていた「あの人の本」コーナー。ここの、ちばてつやさんのセレクトがとにかく素晴らしくて驚きました。

この棚とその向こうに広がっているはずの風景、すばらしい

あのキャリアで、これだけ幅広い本と向き合って、貪欲に学んでいこうとされているんだなあと。


ともあれ、ほぼ日のみなさん、ほんとうにおつかれさまでした。なんのお世辞でもなく、ほんっとに刺激を受けまくりました。読んだ本についてのおしゃべりとそのおもしろさはいろんな場所でたくさん経験してきましたが、本を選ぶところでのおしゃべり(読書家からの講釈ではない、友だち同士の平場のおしゃべり)があんなに自由でたのしいものだとは、ここにくるまでまったく知りませんでした。ひさしぶりに「リンク」「フラット」「シェア」の3つを思い出しましたよ。