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その茫漠にぼくは触れたい。

言いたいことがあるぞー! 書きたいことがあるぞー!

そんなふうに荒ぶる日が、ぼくにだってある。けれども「言いたいこと」や「書きたいこと」をそのまま書くのは、よしておいたほうがいい。荒ぶりにまかせて書かれた文章は多くの場合、特定のだれかを狙い撃たんとする文章になる。そのターゲットをぼかして書いたとしても、やはり攻撃性を帯びた文章になり、読む者の心をいたずらにざわつかせる。場合によっては流れ弾が、意図せぬだれかに当たる。

さらにまた、それを書いて事態が好転するわけでも、たぶんない。書いて得られるのはせいぜい、自分の「スッキリ」だけだ。ならば別の方法でおのれのスッキリをめざすほうが、健全に思える。


世のなかをよくしていきたいなあ、と思う。日本経済をよくしていきたいとか、出版業界をよくしていきたいとか、そういうことはあまり思わない。ごめんなさいだけど、まるで思わない。かしこい人がやってくれ。もっと漠然とした、空気としての「世のなか」をよくしていきたいなあ、と思う。切に思う。思うということはすなわち、いまの世のなかをいやだなあ、と思っているということだ。

いま書いている本は、ことによるとぼくのライフワークとなっていくかもしれない(個人的)シリーズの一作目で、その根っこにある動機は「世のなかをよくしていきたいなあ」なんだと、きのう気づいた。

ひたすら漠とした話なんだけども、具体の答えを示すのではなく、こころの茫漠に触れるような本をつくっていきたいのだ。

もう一度、アドラーの言葉を贈りましょう。「誰かが始めなければならない。他の人が協力的でないとしても、それはあなたには関係ない。わたしの助言はこうだ。あなたが始めるべきだ。他の人が協力的であるかどうかなど考えることなく」。

『嫌われる勇気』より

言うよりも、やる。

だれかを撃ち落とすよりも、自分が羽ばたいてみせるほうがいいものね。