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お前、ぜんぜん若かったじゃん。

少しだけ、甘酸っぱい気持ちで読んでいる。

「ほぼ日刊イトイ新聞」で連載中の「夢を笑う人なんか友達じゃないよ」。放送作家の鈴木おさむさんと、糸井重里さんの対談だ。

いまから20年ほど前、少しだけテレビのお仕事に関わったことがあった。当時のぼくよりも何歳か若いディレクターさんが仕切る、関東ローカルの深夜番組だ。ぼくが担当していた著者さんが準レギュラーのようなかたちで番組に出演し、収録のたびにぼくも出掛け、著者さんのサポートをしたり、ディレクターさんの相談相手になったり、われながらよくわからない立場で立ち回っていた。

3ヵ月、あるいは半年ほどそういう日々が続いただろうか。ある日ディレクターさんから、個人的に話があると呼び出された。

「放送作家、やってみない?」

単刀直入に、彼は言った。古賀さんはおもしろいし、なにより書けるし、ぼくもチームを組めるような作家がひとりでも多くほしいし、古賀さんさえ興味あれば、すぐにでもお仕事お願いしたいんだけど。風変わりな白いメガネを光らせて、彼はそう言った。

世間知らずのぼくにとって、放送作家といえば大橋巨泉、高田文夫、そして秋元康である。キラキラした世界でびかびかに輝く、ビッグスターである。

「仕事って、どんな仕事?」

ぼくの質問に彼は「いきなりバラエティは無理だから、最初は旅番組とかのナレーション原稿あたりかな」と言う。

「そういうのって、ギャラはどれくらいなの?」

「いや、そこは仕事が仕事だから、最初は出せても2000〜3000円とかだけどさ。でも少しずつやっていけば……」

彼のことばは、もうほとんど耳に入っていなかった。2000円とか3000円とかじゃ食っていけないよなあ。せっかくライターとして実績も積んで、おもしろい仕事ができるようになってきたところだし、わざわざこれを捨てて「そっち」に行くのもなあ。

けっきょくぼくは、彼のオファーを断った。おもしろそうで、いろんな夢が広がっていそうなオファーだったけれど、あと10年、せめて5年早ければと悔やんだ。だって、もう30歳だぜ、と。


いまになって思う。「お前、ぜんぜん若かったじゃん」と。いくらでも変われるし、これからなんだってできるし、そもそも捨てるものなんてひとつも持ってないじゃん、と。それに現実的なことを言うなら、べつに放送作家の仕事をはじめるにあたってライターをやめる必要はない。ライターを続けながら(無償のものも含む)放送作家の仕事をやってみて、それでおもしろいほうに進んでいけばよかったんじゃん。

いまライターを選んでいる自分になんの不満もないんだけれど、あのときの自分については「そっちを選んでみてもよかったんじゃない?」の思いが少し残っている。どんな人生が待っていたかはわからないものの、そっち側の「あったかもしれない人生」を思う自分が、確実にいるのだ。


いまの自分だって「お前、ぜんぜん若かったじゃん」なんですよね。10年後や20年後に振り返って考えると。