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忘れやすさと残りやすさ。

忘れるなあ。ほんと、すぐ忘れちゃう。

なにか「いいこと」を思いつく。むつかしい図形問題がパタパタッと解けていくときのように、仕事上の「いいこと」につながる道筋やロジックを思いつく。おお、これでうまくいくぞ、と興奮する。よーし、明日さっそくこれを書いてみようと考える。

ところがなぜか、こういう「ちょっといいこと」や「ちょっとした突破口」はすぐに記憶から消えてしまう。きのうの夜、なーんかいいこと思いついたんだけどなあ、と途方に暮れる。

一方、「いやなこと」は記憶に残りやすい。昨晩起きた「いやなこと」は、しっかり心に残っているし、なんなら大きく膨らんでいたりもする。怒りに紐づいた感情もそうだ。「いいこと」や「いいアイデア」がすぐに消えちゃう打ち上げ花火だとするなら、「いやなこと」や「怒り」はいつまでもくすぶり続ける備長炭めいた性質を持っている。

だから「いいこと」を思いついたら——それがどんなに些細なことであっても、いや些細なことであるほど——積極的にメモをとるべきだと思うのだけど、「いやなこと」や「怒り」の持つ〝残りやすさ〟についても十分自覚的であったほうが、自分や他人をいたずらに傷つけずにすむと思うのだ。

たとえばソーシャルメディアのタイムラインを眺めているときでも、「いいな」とか「おもしろいな」と思う数と、「やだな」とか「腹立つな」と思う数は、じつはあんまり変わらないんじゃないかと思う。けれども「いやなこと」のほうが心に蓄積しやすいため、ソーシャルメディアに触れること自体を億劫に感じるところが、ぼくにはある(というか、そう感じる機会が増えてきた)。

「いやなこと」の残りやすさを乗り越えて、ほんのちいさな「いいこと」をもっともっと記憶できる自分になると、人生豊かになるよなあ。

最近触れたツイッター上のいちばん「いいこと」はこちらです。

MOTHER2をプレイしたことのある人なら、何十・何百回とくり返し見ても飽きないと思う。すばらしいなあ。