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古賀史健

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古賀史健の note、2018年以降のぜんぶです。それ以前のものは、まとめ損ねました。
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2022年2月の記事一覧

うらやましかった、あの三文字。

うらやましかった、あの三文字。

ダウンタウンが全国ネットの番組に登場するようになった1989年。

まあほんとに、なにもかもが新しかった。当時の彼らはちょうど、2000年代のアップルに似ていた。「おれたち以外」のすべてを野暮ったくて時代遅れなものと化してしまう暴力的な革新性が、そこにはあった。彼らの語る言葉や価値観は、あっという間に若者たちへと浸透し、プロレスのようであったお笑いをゴツゴツした格闘技へと変化させた。

ご多分に漏

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こんな試合を続けていたら。

こんな試合を続けていたら。

いま、ようやくいま、つい先ほど。

「バトンズの学校」のフィードバック、その最終回分をすべて戻し終えた。昨年7月の開校から数えても7ヵ月あまり。学校の教科書である『取材・執筆・推敲』を書きはじめたところから数えれば3年半以上。ああ、ようやく自分の立てた仮説にひとつのピリオドが打たれるんだなあ、との安堵感だけがいまはある。やれることは全部やったつもりだ。

ちょっと馬鹿な話をしますよ。

先日他界さ

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求められる落ち着きについて。

求められる落ち着きについて。

本を読んでおいてよかったなあ、と思うことがある。

海外の作家・研究者による「文明」だとか「人類史」だとかを語ったタイプの本だ。具体的にいうと、ジャレド・ダイアモンドとか、スティーブン・ピンカーとか、ユヴァル・ノア・ハラリとか、そういう人たちの本だ。この手の本は、だいたいおもしろい。なるほどと思わされる視点がたくさんあり、好奇心をビンビンに刺激される。常識が覆されたり、おかげで別の本を手に取らなき

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確定申告のおわりに。

確定申告のおわりに。

確定申告が終わった。

作業のほとんどを税理士さんにお願いしているとはいえ、この山を越えるとどこか心が晴々するから不思議である。納税は、憲法にも定められた国民の義務。明日からまた一年間、大手を振って日の当たる場所を歩こう。

ぼくがはじめて納税を意識したのは、平成元年の消費税導入だった。当時高校生だったぼくは、怒り心頭だった。小学校の社会科だったか中学校の公民だったかで教えられた「税のしくみ」とか

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あの人に、この場があってよかった。

あの人に、この場があってよかった。

北京オリンピックが閉幕した。

今大会はもちろん、ここ数回の大会を振り返って、如実な変化を感じることがある。それは「選手とメディアの距離感」だ。オリンピックにはどうしても国民的行事の側面がある。メディアも大騒ぎするし、誰かが金メダルを獲得すればそれについて総理や官房長官がコメントし、また号外が配られたりもする。選手たちが望むと望むまいと、やはり国民的行事の色彩が強い。

それゆえ選手たちは過度なプ

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それは職業病ではなく。

それは職業病ではなく。

区役所が発表したスケジュールによれば、もうすぐ届くはずだ。

ワクチン接種券の話である。3回目のワクチン、できれば早く打ちたい。けれども1回目や2回目のときに比べると、まだ周辺で「打ってきたよ」の話をさほど聞かない。接種は進んでいるのだろうけれど、なんとなく世のなか全体が「打つこと」に慣れた部分もあるように思う。

接種とセットのように語られるのが、副反応だ。セットというよりむしろ、こちらがメイン

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トップアスリートの条件。

トップアスリートの条件。

以前、あるオリンピアンに取材させていただいたときのこと。

幾度ものオリンピックに出場し、表彰台にも上がったことのあるその方は、「トップアスリートの条件」として次のような話をされていた。

たとえば練習のなかに、「100メートルダッシュを10本」というメニューがあったとする。取り組む選手たちはみな、100メートルを10本走り抜ける。しかし、その100メートルを7割の力で走るのか、それとも10割の力

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そこにピリオドが必要な理由。

そこにピリオドが必要な理由。

なにを隠そう、恥をさらそう。

先月末に最終講義を終えたはずの「バトンズの学校」。じつはまだ終わっていないのだ。これは「学びはこれからも続いていくよね」という美しい話ではなく、オミクロンさんの感染拡大で打ち上げ(懇親会)が延期になったという意味でもなく、いやそれはどちらも事実なんだけれども、もっともっと大事な「終わっていないもの」として、受講生さんにお戻しするフィードバックがまだ、終わりきれていな

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個性的であろうとせずとも人はみな。

個性的であろうとせずとも人はみな。

猫もウサギもそうだと思うけど、ひとまず犬を例に書く。

犬の飼い主はみな、自分ちの犬を特別な目で見ている。そりゃあ、よその犬とは違うさ。というのは当たり前の話だけれども、ぼくが言いたい「特別」は、ちょっとだけ意味が違う。飼い主みんなにアンケートをとったわけじゃないので当てずっぽうの話にはなるものの、ひとつ確信をもって言えることがある。

犬の飼い主はみな、自分ちの犬を「ちょっとヘン」だと思っている

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今年もまた思い出した教訓。

今年もまた思い出した教訓。

前にも書いた話だけど、また書こう。

2月14日である。聖バレンタインデーである。本邦においてこの日は、女性が意中の男性へとチョコレートを贈り、愛の告白をするドキドキの一日とされている。聖バレンタイン氏もなんじゃそりゃ、と思っていることだろう。

この日本独自の因習について、それが製菓メーカーのプロモーションに端を発するものであることは中学生でも知っている。数多の本にも、漫画にだって書いてある。け

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山ほどの準備、矢のような想定外。

山ほどの準備、矢のような想定外。

いまから半年前、東京で夏季オリンピックが開催されていた。

「ほんとに半年前? 1年半前じゃなくって?」と疑いたくなるほどの過日に感じられるものの、最初に思い出す競技といえば卓球だ。男子も女子も、個人も団体も、ずいぶん熱心に応援したし、泣いたり笑ったり大変だった。

一方、あたらしい時代のオリンピックを象徴しているなあ、と思わされたのがスケートボード競技である。競技者としてのプレッシャーや真剣さは

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好きこそものの上手なれ、の代わりに。

好きこそものの上手なれ、の代わりに。

好きこそものの上手なれ、ということわざがある。

言わんとすることはわかるものの、たいへん大雑把なことわざだ。たとえばぼくは、とんかつが好きである。チキンカツも相当に好きだ。イカフライも大好きだし、メンチカツも負けちゃいない。けれども、それら「パン粉をまぶして揚げたもの」が好きであっても、揚げものの腕は上達しない。そもそも、自分で揚げようという気がほぼ起きない。店で食うにかぎるのだ、そういうものは

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誰かにお願いするまでもない仕事。

誰かにお願いするまでもない仕事。

ああ、それは自分で運ぶのか。

きのうおこなわれた、北京五輪スピードスケート女子1500メートルの競技後インタビューを見ていて思った。ミックスゾーンにやってきた選手たちが、政治の世界でいう「ぶら下がり」の取材に応じる。まだ整理のつかない感情を押しとどめ、しっかりとインタビューに答える。そして「どうもありがとうございました」と頭を下げたあと——きっとスケート靴などが入っているのだろう——そこそこ大き

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嘘の多い人生はつらいけれど。

嘘の多い人生はつらいけれど。

週末、ひさしぶりにメガネ屋さんを訪ねた。

ぼくは普段、裸眼で過ごしている。地下鉄での通勤も、パソコンに向かっての仕事も、メガネなしでほとんど問題ない。むしろ、老眼がはじまっているのだろうけれど、メガネをかけて本を読んだりスマホを操作するのは、いささか苦しくなってきた。なのでメガネをかけるのは基本、車の運転時と映画の鑑賞時くらいのものだ。

ところが最近、そこに「テレビ鑑賞」が加わってきた。テレビ

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