あの人に、この場があってよかった。
北京オリンピックが閉幕した。
今大会はもちろん、ここ数回の大会を振り返って、如実な変化を感じることがある。それは「選手とメディアの距離感」だ。オリンピックにはどうしても国民的行事の側面がある。メディアも大騒ぎするし、誰かが金メダルを獲得すればそれについて総理や官房長官がコメントし、また号外が配られたりもする。選手たちが望むと望むまいと、やはり国民的行事の色彩が強い。
それゆえ選手たちは過度なプレッシャーにさらされ、場合によってはストーカーまがいの報道合戦に巻き込まれ、無神経なコメントをぶつけられることも多い。結果的に、メディア不信に陥り、敵対的な態度で自身を守ろうとする選手たちをこれまでたくさん見てきた。20年前、30年前くらいまでは、どの大会にもかならず、そういう犠牲者がいた気がする。
ところが今回の北京大会や、去年の東京大会において、そこまで露骨にメディア不信を露わにする選手はいなかったように思う。いや、全競技を追いかけているわけではないのでわからないものの、ぼくの目にはそう映る。
ひとつには、インタビューを中心とした報道が、衆人環視のものになったことがおおきいだろう。インタビュアーが少しでも失礼な質問をすれば、またたく間にSNS上で炎上する時代だ。訊く側もそのへんは慎重になっているはずである。
そしてこれは、2011年にサッカー女子W杯で優勝した「なでしこジャパン」くらいから言われていることだけれど、オリンピックやワールドカップに出場するナショナルチームの選手たちには、メディア対応のトレーニングがなされるようになったそうだ。しかもそれは模範回答を暗記する類いのものではなく、シチュエーションや心境を的確に言語化するトレーニングなのだという。どの競技、どの団体で、どこまでそれができているのかわからないものの、少なくともあのときの「なでしこジャパン」はそうだったと、なにかの記事で読んだおぼえがある。自身の気持ちをしっかり言葉にする訓練を受けていれば、メディアとの意思疎通もスムーズになるのかもしれない。
そして最後にくるのがやはり、SNSの広がりである。自分のほんとうの気持ちは、SNSを通じて伝える。テレビや雑誌では切りとられてしまう発言も、自分のフィールド(ツイッターやインスタグラム)であればしっかり伝えられる。そういう場を持てたことで、メディアに対するフラストレーションが緩和されている面もあるのだと思われる。
スピードスケートの小平奈緒選手が更新したインスタグラム。この1月に足を捻挫して絶望的な状況に追い込まれたという彼女は、すべてのレース終了後、「成し遂げることはできずとも、自分なりにやり遂げることはできたと思っています」と記している。
ずっと忘れないであろう言葉たちに出合い、ぼくのなかでの北京大会は「小平奈緒さんの大会」になった気がする。
選手たちに、SNSの場があってよかった。