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トップアスリートの条件。

以前、あるオリンピアンに取材させていただいたときのこと。

幾度ものオリンピックに出場し、表彰台にも上がったことのあるその方は、「トップアスリートの条件」として次のような話をされていた。

たとえば練習のなかに、「100メートルダッシュを10本」というメニューがあったとする。取り組む選手たちはみな、100メートルを10本走り抜ける。しかし、その100メートルを7割の力で走るのか、それとも10割の力で走るのかは、結局その選手次第である。7割で走っても十分キツいし、足はパンパンになる。7割で走ったからといって、コーチにバレることもない。それでもトップアスリートたちは、つねに10割の力で走ろうとする。しばしばスポーツが「自分との闘い」と言われるのは、そのためだ。誰にバレるでもない場所で「自分との闘い」に打ち克った選手だけが、トップアスリートになれるのだ。


じつに胸の痛い話だった。中学・高校時代にサッカー部所属だったぼくは、それこそ毎日のように「100メートルダッシュを10本」的なメニューをこなしていた。キツかったおぼえは十分ある。けれども当時の自分が10割の力でダッシュしていたかというと、はなはだ心もとない。併走する仲間に大負けしないくらいの力で、まわりに合わせながら、走っていたような気がする。それでキツいの苦しいの言ってた気がする。「自分」と闘う意識なんて、まったく持っていなかった。

しかし、その元オリンピアンの方に言わせると、後進を指導するコーチこそほんとうに大変なのだという。選手たちはいつも、コーチの本気度を見ている。指導者が少しでもいい加減にやっていたら、選手は誰もついてこない。トップアスリートの世界では、なおさらその傾向は高まる。だから指導者になる人間は、現役時代以上の厳しさを持って自らを律していく必要がある。


スピードスケートの高木美帆選手が、1000メートルで金メダルを獲得した。コーチのヨハン・デビット氏と抱き合うと、彼の肩に顔をうずめ、ぽろぽろ涙をこぼしていた。選手とコーチが喜びを分かち合う場面は、最高にかっこいい。表彰台より凱旋パレードより確かな「ほんとう」を、そこに感じる。それは孤独な「自分との闘い」に打ち克ったふたりが、ようやく抱擁できた瞬間なのだ。