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今年もまた思い出した教訓。

前にも書いた話だけど、また書こう。

2月14日である。聖バレンタインデーである。本邦においてこの日は、女性が意中の男性へとチョコレートを贈り、愛の告白をするドキドキの一日とされている。聖バレンタイン氏もなんじゃそりゃ、と思っていることだろう。

この日本独自の因習について、それが製菓メーカーのプロモーションに端を発するものであることは中学生でも知っている。数多の本にも、漫画にだって書いてある。けれども「そんなガラパゴスルールに乗っかってたまるか。おれはバレンタインなんか気にしないぜ」と言えなかったのは、ぼくがモテたい盛りの男子中学生だったからだ。この日がくると毎年ドキドキしていたし、正直なところを告白すると、意中の女の子からチョコレートをもらえたことは中学時代、一度としてなかった。つまりは毎年、ガッカリしていた。

さて。そんな普通の中学生時代を経て高校に進学したところ、バレンタインのドキドキは皆無になってしまった。男子校に入り、夜の遅くまで野郎どもとグラウンドを走り回る、運動部に入部したからである。女子と接触する機会は文字どおりのゼロ。これでは、いくら夢見がちな高校生であっても期待のしようがない。当たり前に誰からもチョコレートをもらえない3年間が続いた。ガッカリする暇もなかった。

そこで掴んだ人生の真理がある。

人がガッカリするのは、そこに期待があるからなのだ。なにかに落胆しているということは、そこに希望があった証拠なのだ。ガッカリしたり、落胆したりできることは、そこに可能性がある証左であり、幸せなことなのだ。


あの「落胆するチャンスさえない3年間」を過ごしたぼくは、仕事や人生に落胆するたび、そこにあったはずの希望や可能性に思いを馳せる。それがあるだけでも幸せなんだぜ、と自分に言い聞かせる。

来年の2月14日にも、再来年の2月14日にも、この教訓を思い出すだろう。きょうガッカリした男子諸君に、幸あらんことを。