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それは職業病ではなく。

区役所が発表したスケジュールによれば、もうすぐ届くはずだ。

ワクチン接種券の話である。3回目のワクチン、できれば早く打ちたい。けれども1回目や2回目のときに比べると、まだ周辺で「打ってきたよ」の話をさほど聞かない。接種は進んでいるのだろうけれど、なんとなく世のなか全体が「打つこと」に慣れた部分もあるように思う。

接種とセットのように語られるのが、副反応だ。セットというよりむしろ、こちらがメインで語られることも多い。ぼく自身、2回目の接種時には発熱と頭痛、倦怠感の副反応がしっかり出た。それはちょっと、おもしろい経験でもあった。

ドラッグストアで売られている風邪薬や胃薬を飲んで、これら副反応が出ることはほとんどない。病院で処方される薬でも、まず感じない。だから、薬全般についてどこか「身体にいいもの」のように思っていた自分がいる。こう、悪い敵をやっつける、正義のヒーロー仮面ライダー的なイメージを漠然と抱いていた。薬にまつわる慣用句もだいたいそうだ。「良薬は口に苦し」や「酒は百薬の長」はもちろん、「毒にも薬にもならない」とか「馬鹿につける薬はない」もそうだし、鼻っ柱をへし折られた人に対して「いい薬になるさ」なんて語られるときの薬も、やはり「いいもの」である。

しかしながら実際の薬とは、「飲めば飲むほど元気になる」みたいなものでは決してなく、基本的には体内に異物を取り込むことであり、作用があれば反作用(つまりは副反応)があるというものなのだろう。

で、思うのが仕事のことである。

おそらくどんな仕事でも、長らくそれに従事していれば反作用というか、副反応めいたものがある。「お相撲さんは短命に終わることが多い」みたいな話とは別に、心の部分に副反応がある。何十年も政治家をやっているとか、何十年も銀行に勤めているとか、何十年も教職に就いているとか、いろんな職業について、それぞれ副反応があるはずだ。

ぼくの場合も何十年とライターの仕事をやっていて、どうしようもなく発現してしまった副反応は、いろいろあると思う。一般には「職業病」と言われるような事どもも、「職業的副反応」として考えたほうが、わかりがよさそうだ。

そうやって考えると人間だって、副反応のかたまりなのかもしれない。人格形成のプロセスは、長年にわたって採り入れてきた刺激に対する副反応、といえるのかもしれない。

この一年あまりのあいだに副反応という言葉をおぼえ、それを実感したことで、自分のなかに考える軸が一本増えたのだ。というのもまた、職業的副反応なのかもしれないが。